この記事は、戦艦大和デザインマンホールのご紹介です。
- 美術館通りの8枚
- 旧呉海軍墓地(長迫公園)付近の2枚
の計10枚を徒歩で巡り、しっぽロボット・プチクーボと写真撮影してきました。
こんにちは、neoです。
全国的に人気のあるデザインマンホール、ご存知ですか?
デザインマンホール、またはご当地マンホールとは、日本各地に存在する、各地域ならではの趣向を取り入れた、マンホールのフタです。
全国に点在するデザインマンホールを探し歩き、そのフタを掃除して写真撮影する「マンホーラー」や「蓋女(ふたじょ)」さんも急増中だそう。
かく言う私も割と好きで、こちらは以前、JR熊本駅で撮影した「ケロロ軍曹」の素敵なマンホール。
「好き×好き」の組み合わせで、見つけた時は、めっちゃテンションが上がりました。
今回は、プチクーボのぴこちゃんと一緒に、広島県呉市のデザインマンホールを巡ります。
「戦艦大和デザインマンホール」って?
瀬戸内海の、ほぼ中央エリアに位置する、広島県呉市。
かつて東洋一の軍港だったこの地で、当時の最高技術を結集した、旧日本海軍史上最大の戦艦「大和」が建造されました。
だから、呉は「大和のふるさと」なの。
■画像:NHK「ブラタモリ」呉〜“戦艦大和のふるさと”呉はどうできた?〜より
現在は、海軍史跡巡りや「大和ミュージアム」が、人気の観光スポットになっています。
そんな呉市に設置されたデザインマンホール10枚は、全て戦艦大和がモチーフです。
先日、観光協会でもらったマップを片手に、半日でマンホール巡りをしてきました。
■画像出典:呉市上下水道局
各地で目を楽しませてくれる、カラフルなデザインマンホール。
町によっては、ポツポツ離れた場所に設置されたマンホールを1つ1つ探し歩く、オリエンテーリング的な楽しみ方ができます。
けれど、
‥あんまり時間ないし、歩き疲れちゃうのもちょっと‥。
という人もおられるのでは?
「チラッと見れたらOK、しかも色々見れたら嬉しいな」という人にもピッタリな町のひとつが、ここ呉市かもしれません。
JR呉駅から東に歩いて約15分の場所に、8枚が集中する、
「美術館通り」があります。
マンホールが歩道沿いに並んでるから、迷わないし、サクサク見れるよ。
今回は、美術館通りからやや離れた地点に設置された2枚も、併せてご紹介。
‥さ、ぴこちゃん、カメラ持って出かけるよ。
美術館通りに並ぶ、戦艦大和のストーリー
赤レンガの並木道・美術館通りには、彫刻作品が並んでいて、
「日本の道100選」にもなっています。
ここに設置されたデザインマンホール8枚は、
戦艦大和の一生を描いたシリーズになります。
私が訪れた時も、スマホ片手のグループを発見。
男性数人で大和マンホールを探しながら、入れ替わり立ち替わり、楽しそうに撮影されていました。
何となく「マンホールを見つけて、1番先にたどり着いた人が、フタの上の落ち葉や小石を避ける」というシステム(?)になっていて、時には私がその係になることも。
お互い何も言わないけど、きっと心の中で「‥お仲間だ!」って思ってるね。
デザインマンホールは、地元民の目に触れやすいだけでなく、それ目当てに、各地を訪れるガチなファンも増えているので、呉市でも定期的な清掃が行われているようです。
けれど設置から年月が経つと、傷みや色の劣化が起こり、デザインはそのまま、新しいフタなった年もあるそう。
実際にマンホールを巡ると、やはり刻まれた年月を感じるフタもありましたが、目立つので、遠くからでも見つけやすかったです。
まずは、美術館通りの入口からスタート。
レンガに映える鮮やかなブルーが、いきなり目を引きました。
‥わ!最初の1枚目から、超カッコいいぞ!
「昭和16年(1941年)12月竣工 戦艦大和」。
極秘で建造されていた大和が、遂に完成した姿ですね。
それにしても、第二次世界大戦当時「世界最大の戦艦を日本が建造した」という事実に、改めて驚きませんか?
大和を建造した時の、高度なものづくりの技術は、新幹線をはじめ、今の日本で色々応用されてるんだって。
大和を造り始めたのは、昭和12年。
猛スピードで完成させたそう。
■画像:NHK「ブラタモリ」呉〜“戦艦大和のふるさと”呉はどうできた?〜より
そしてすぐ隣にも、大和いた!
10枚のうち、既に2枚見つけちゃった。
2枚目「呉海軍工廠 竣工時の大和」。
呉海軍工廠とは、かつてこの町にあった、日本海軍の艦(ふね)や兵器を作る工場です。
こっちは、1枚目に比べると、淡いカラーでまとめてあるね。
少し歩くと‥3枚目、見つけました。
「昭和16年(1941年) 宿毛沖標柱間で全力公試中の戦艦大和」。
瀬戸内海を抜けて、高知県宿毛の広い海で「うおおおおお!」って、お試し運転してる図かな。
シンプルなデザインだけど、海原を巨大戦艦が突き進む勢いを感じます。
お次の4枚目は‥あれっ?
コレ、3枚目と同じデザインじゃない?
‥いやいや、よく見ると、全然違うな。
「昭和17年(1942年)頃の連合艦隊旗艦 戦艦大和」。
連合艦隊に編入された大和は、ミッドウェー海戦で初陣を迎えます。
この姿、大和にとっては、間違いなく「イケてた頃の、オレ」。
【旗艦って?】
艦隊の司令官や幕僚が乗って、指揮をとる軍艦。
ひと目で「エラい人が乗ってます」とわかるよう、指揮官の旗を掲げた、目立ちまくりの艦。
5枚目は「昭和18年(1943年)頃の戦艦大和と武蔵」。
武蔵は、大日本帝国海軍の大和型戦艦の2番艦で、見た目は大和そっくりです。
ホントだ、手前と奥に2隻いる。
雄々しい兄弟のツーショットだね。
美術館通りに入ってから、ずっと足元をガン見していますが、この道には、彫刻作品も並んでいます。
せっかくだから、彫刻も楽しもう。
マンホール探しの合間、ヤギさん親子に、そっと近づくぴこちゃん。
ちゃっかり、お嬢ちゃんのお膝にも。
6〜8枚目のマンホールには、戦争の激化に伴って、艦の装備が増設されていく大和が、同じ構図で描かれていました。
フタ中央に、真上から見た大和、そして背景の海には、金唐紙の模様。
【金唐紙って?】
美術館通りから入った場所に建つ、入船山記念館。
その館内にある、旧呉鎮守府司令長官官舎の洋館部で使われている、めっちゃ美しい壁紙。
金唐紙とは、金属箔を施した和紙に、凹凸加工をつけ、上からワニス、彩色をして仕上げた壁紙のことです。
ルーツは、ヨーロッパの金唐革にあります。江戸時代、金唐革が日本にもたらされ、後に和紙を革に似せて加工する擬革紙という技術が発達します。明治時代になって、この擬革紙の技術を応用して、きらびやかな文様、彩色をして仕上げた壁紙、金唐紙が誕生しました。入船山の金唐紙
■引用元:入船山記念館 金唐紙の紹介
入船山記念館内にある旧呉鎮守府司令長官官舎の洋館部には、5種類の金唐紙が使用されています。
引用元のサイトで、綺麗な金唐紙の写真が見れるよ!
壁紙やインテリア好きさんは、是非!
‥そんなハイカラな金唐紙を、巨大戦艦の背景にあしらった、デザインマンホールに戻りましょう。
もう1度、6枚目の「竣工時の戦艦大和/入船の森(金唐紙)」から。
昭和16年、できたての大和は、まだ大砲が少なく、甲板(クリーム色の部分)の面積が広いですね。
7枚目「捷一号作戦時の大和/フラワーロード(金唐紙)」。
昭和19年(竣工の3年後)、なんか甲板に、色々増えてるのがわかります。
8枚目「菊水一号作戦時の大和/草花と昆虫(金唐紙)」
‥昭和20年、終戦の4ヶ月前か。
主砲以外に副砲をどんどん盛って、最終形態は、こうなっちゃったんだね。
昭和20年4月7日、大和は多数の米軍艦載機による攻撃を受けて、沈没しました。
この3枚は、他の5枚に比べると、シックな色使いです。
竣工後も戦艦としての装備を増していく大和の姿と、あくまでもエレガントな金唐紙を組み合わせるセンスもさすが。
じっと眺めていると「美しくも哀しい」って言葉が浮かんできました。
この美術館通りは、ゆるい坂道になっています。
行きと帰りで左右別々の歩道を歩くだけで、8枚のデザインマンホールに出会えますよ。
旧呉海軍墓地(長迫公園)付近の「戦艦大和デザインマンホール」2枚
美術館通りから少し離れた場所に、旧呉海軍墓地(長迫公園)があります。
墓地内に「戦艦大和戦死者之碑」があり、映画のロケ地になったり、遠方から訪れる人も多いそう。
静かな公園の、水飲み場にやって来た猫。
私も自販機で買ったポカリで、ひと休み。
この付近に、残りの2枚が設置されているので、探してみましょう。
‥あった!
9枚目「最終出撃時の大和」。
そして、ラストの1枚は「昭和20年(1945年)頃の戦艦大和」。
白い波をかき分けて直進する勇姿‥「大和よ 永遠に」とあります。
この1枚だけ、他のに比べて新しいかな?
目立った傷もなく、ツヤピカでした。
はい、これで10枚、コンプリートです!
1枚ずつマンホールを撮影したことで、何気にスタンプラリーっぽい達成感が味わえました。
ところで、観光協会のマップだけを頼りに、各マンホールを目指した私。
ざっくりした地図でも、美術館通りの8枚の方は楽勝でしたが‥
後のエリアの2枚は、なかなか見つけられなかった!
あのね、私、マンホールは、公園内にあるんだと思ってたの。
正解の設置場所は、旧海軍墓地(長迫公園)と長迫小学校の間の歩道。
公園の中を何周しても見つからず、1度は諦めかけたので、今から行く人は、
公園の外の歩道で、探してくださいね。
あと、マンホール撮影中、道ゆく人や通り過ぎる車の窓から、視線を感じる瞬間がありました。
デザインマンホールを撮ってる人はたまにいるけど、ぴこちゃんが謎だったんだろうな。
それでも「まん丸ボディのぴこちゃん×丸いデザインマンホール」は、予想以上に可愛い組み合わせで、自己満足しています。
デザインマンホール巡り、楽しかった
日本各地のデザインマンホール、または、ご当地マンホール。
気になったマンホールの設置場所を、キッチリ調べた上で探すもよし、たまたま発見するもよし。
ちなみに私は、旅先で遭遇すると、つい駆け寄ってしまいます。
先月訪れた、酒都・西条に設置されていたのは、酒蔵がデザインされたこちら。
突然、足元に出現すると、かなり嬉しい。
全国に点在するデザインマンホールを探し歩く本格派「マンホーラー」や「蓋女(ふたじょ)」さんが増えている、という話もうなずけませんか?
そして、マンホールカード!
GKPは、世界に誇れる文化物である日本のマンホール蓋を国民の皆様に楽しく伝えるとともに、下水道への理解・関心を深めていただくためのコミュニケーションツール「マンホールカード」を、全国の地方公共団体と一緒に発行しています。
■引用元: GKP下水道広報プラットホーム マンホールカード
路上を飾るご当地ものとして、マンホール蓋が市民の関心を集める中、マンホールカードは今まで下水道を気に留めていなかった方には関心の入り口として、既にマンホール蓋に関心を寄せていただいている方には、蓋の先にある下水道の大切さをより深く理解していただくことを目的に誕生しました。
観光協会でもらった地図に掲載された配布場所で、カードをゲットできるそうなので、ついでに寄ってみましょう。
こんにちは。
‥あのっ、マンホールカードって、こちらでいただけるのでしょうか?
は〜い、どうぞ!こちらですね。
おお、これが噂の!
呉市では、10枚のデザインマンホールのうち、カードになっているのは2枚だけ。
‥えーっと、このパターンをみる限り、カード化されていない方が多いよね?
じゃあ、デザインマンホールって、全国にどんだけあるの?
そういえば先月、広島で開催されたG7サミットを応援する取り組みの1つとして、広島市にデザインマンホールが寄付されました。
設置場所は、平和記念資料館・東館南側の歩道。
■画像出典:広島市役所
このように、今後も各地での設置は、増えていくのでしょうね。
うふふ、楽しみ。
そんな私が気になっているのは「ガンダムのデザインマンホール」で、わざわざ見に行きたいほどです。
今までマンホールに興味がなかった人も「こんな(自分好みの)デザインがあったんだ!」なんて、ビックリするかも。
よかったら是非、地元や旅先で、個性的なデザインマンホールを探してみてくださいね。
それでは、また。