アザラシロボ・パロオーナーのブログ。
パロやプチクーボと暮らす楽しい日々・時々アートのこと。
美術館・博物館巡り

江戸時代の古地図コレクションで当時を想う

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neo

こんにちは。
美術館・博物館巡りが趣味のneoです。

この記事は、日本屈指の古地図コレクションの展覧会レポです。

展覧会で私が感じたことも添えました。

旅好きの私は、地図やガイドブックが好きです。

そして江戸時代の資料や浮世絵にも興味があります。

neo

好きな浮世絵師は、河鍋暁斎と月岡芳年。

なので古地図など、貴重な資料が展示された今回の企画展には期待しかありません。

しかも何と、写真撮影OK!これは嬉しい。

コロナ禍のあおりで自由に旅行できないご時世ですが、古地図や絵巻を入口に時空トリップを楽しんできました。

neo

気になるパートだけ読んでも大丈夫。楽しんで頂けると嬉しいです。

守屋寿コレクション受贈記念「京・江戸・長崎〜近世・海の旅と憧れのまち」

ここは広島県立歴史博物館。

秋の企画展のテーマは「江戸時代の旅と憧れの都市」です。

企画展の内容
  • 第1章:近世の旅と海図
  • 第2章:千年の都 京
  • 第3章:百万人都市 江戸
  • 第4章:異国情緒の街 長崎

第1章では当時の旅のルートを描いた絵図や、紀行文などを紹介、その後、当時の人々が憧れた3大都市「京」「江戸」「長崎」を巡ります。

※資料に関するコメントは、展示室のキャプションや図録の解説を参考にしています。

neo

それぞれ特色のある魅力的な町だよね、ワクワク。

第1章:近世の旅と海図

現代のように交通機関が発達してなかった江戸時代。

人々はまだ自由に旅行することができない一方、陸地には街道が、海には航路が整備されました。

世の安定につれて、庶民が「娯楽の旅」に出かけた日本史上初めての時代だったそうです。

neo

江戸時代中期以降に、あの「お伊勢参り」が大ブーム!

その頃には出版業も盛んになり、全国各地のマップやご当地情報を紹介した書物も多くリリース、情報が手に入りやすくなります。

人々は更に旅への憧れを募らせました。

こちらがベストセラーの日本地図「日本海山潮陸図」。

1691年の初版以降、長く売れ続けたそう。

neo

西日本。だいたい合ってるのが素晴らしい!

広島エリアを見てみると‥

あっ!安芸の宮島の鳥居発見!

ちなみに「東海道中膝栗毛」の珍道中で有名な弥次さん・喜多さんコンビは、続編で宮島にも参拝しています。

あっ!超有名トラベラー、弥次さん・喜多さん、いたー!

庶民の旅は徒歩がメインでしたが、籠や馬を使っての移動もあったそう。

隠居した商人による紀行文「長崎紀行」より。

名古屋から長崎に向かう途中、瀬戸内の人気スポット・四国の金毘羅宮や安芸の宮島に立ち寄る人が多かったけれど、船での移動中、台風や嵐に遭遇することもあったようです。

わああ、こんな暴風雨、絶対イヤ〜!

neo

当時の旅は、陸路も海路も命がけ。

そして「江戸〜大坂までの陸路」と「大坂〜長崎までの海路」を1枚に描いた「東海道五十三次図巻」が登場。

タイトルが「東海道」となってはいても、中国地方や九州地方まできっちり描かれています。

展示されていたのは、九州の部分。

‥おや?何やら雪が積もっています。

この絵巻、江戸では春の景色が描かれ、西に移動するにつれて夏・秋・冬へと季節が移り変わっているそう。

なので、ホラ、熊本城もビシッと締まった配色の冬景色。

neo

実用的な地図、そして季節ごとの風景画のハイブリッド絵巻?

春の江戸パートは、きっとカラフルな花盛り。

このような地図や紀行文の登場で、まだ見ぬ地への期待が膨らんだに違いありません。

neo

紀行文は、トラブルさえ楽しめる娯楽小説のような一面もありそう。

弥次さん・喜多さんの珍道中は、21世紀を生きる私達が読んでも、かなり面白いです。

第2章:千年の都 京

今も昔も憧れの旅行地、千年の都・京都。

「そうだ 京都、行こう。」

このフレーズ‥個人的に、何かもう、色々内包されてる感が最高です。

このエリアでは、西洋に伝えられた京の様子が印象的でした。

17世紀・モンタヌスが紹介した京の遠景図「ミヤコ」。

‥西洋の田舎町みたいだけど、これ、京の都?

ちょっとー、モンタヌスさんー!

いろいろ間違ってる〜!

それもそのはず「モンタヌスには来日経験がない」らしいのです。

なので「想像で補った部分が多い」と。

そしてモンタヌスから150年後、情報はかなり正確に。

シーボルトが紹介した「京都の景観図」は、日本で刊行されていた鳥瞰図の模写なのだそう。

neo

シーボルトは、京都に滞在したこともあるんだって。実際に見てきたんだね。

当時のヨーロッパの人々は、これらの絵で遠い異国・日本を思い描いたのでしょう。

第3章:百万人都市 江戸

江戸の人口が百万人を超えたのは、江戸時代中期〜後期(18世紀)。

当時、世界最大規模の都市でした。

この頃、江戸のマップやガイド、浮世絵などが全国に広まり「大都市・江戸への憧れを抱かせた」とあります。

江戸城を中心に「の」の字型に広がるように設計された江戸の町「文政改正御江戸大絵図」。

あ、こんな地図「ブラタモリ」で見たぞ!

こちらは今のスカイツリー辺りから見た江戸の町並み。

浮世絵師が描いたという「江戸全図」です。

neo

だから雰囲気が浮世絵っぽいのか。

驚いたのは、畳みジワくっきりの大型鳥瞰図「江戸之図」。

縦1m×横4.2m‥って、明らかにデカ過ぎww

地図というより、既に長〜いカーペット。

江戸の町を上空から眺めたこの鳥瞰図は、何と!当時の町の分画地図をベースに、立体的に仕立てられたことがわかったそう。

neo

え〜!凄くない?

作らせたのは、熊本藩・細川家。

横長過ぎる江戸の図を、カニ歩きでガン見すると、私でも知ってる東京名所がチラホラ。

浅草・浅草寺を発見!

大名家や旗本の屋敷の情報が詳しく記されているほか、芝居小屋や名所として知られる寺社、桜の名所など、当時の人気スポットも多く記されている。

熊本から江戸に勤番となった家臣たちが仕事の訪問先やプライベートの時間を楽しむ際の案内図として使ったのだろうか。

■資料のキャプションより引用
neo

熊本藩に「いいね!」を送りたい。

ところで私が上京する時は、出張先を地図で確認しつつアクセスを調べるのも楽しいし「東京には何でもあるぞう!今回はあそこにも行きたいし、どこをどう回る?」と目をキラキラさせています。

参勤交代とかで江戸入りした各地方の皆さんも、きっと似たような気持ちだったのでは?なんて想像した途端、何だか親近感を覚えたのでした。

「東都名所 霞が関の図」。

霞が関には、当時も重厚な建物が並んでいたそう。

「木曽街道続ノ壱 日本橋雪之曙」。

中山道や日光街道、そして東海道や甲州街道につながる日本橋は五街道の起点。

neo

わ〜!雪景色の中、裸で働いてる人いる〜!

そして、世界各地を旅行したスイス人・アンベールの紀行文「世界旅行記」の挿絵より。

「元ネタが浮世絵なので内容は真に迫っています」‥ふむふむ、確かに。

細密な版画だけに「もうね、こうだったに違いないよね」と思わせてしまう説得力に満ちています。

同じく美しい細密画、モンタヌス「日本誌」の挿絵がこちら。

「江戸城」キターッ!‥けど、何か変?

右側にそびえる塔は、3つの天守?

RPGに登場する架空の国のようでもあります。

そして先ほどの「ミヤコ」そっくりな「エド」。

江戸です。

大変オリエンタルな江戸です。


ほら、タイトルが「IEDO」。

ところで「全く知らない人々に何かを最初に伝える役目」というのはとても大きい。

ある意味、責任重大です。

それは正確なのか・見方は偏ってないか・作者の都合のいいように改ざんされていないか、などなど、チェックポイントは限りなくある。

neo

この頃なんて、正確な情報を手に入れる手段がほとんどない時代だったよね。


かのモンタヌスさんのことが気になって後で調べたところ、彼は他の日本の都市や、他国の様子も沢山描いていました。

しかし依頼とはいえ、行ったことがない異国の風景を精密な絵に起こす作業は大変だったのではないでしょうか?

実際に現地を旅して帰ってきた宣教師や使節団の人から

行ったことある人

あの国ねえ、こんなだったよ。

こないだ帰ってきた人

こんな風景でこんな人たちが暮らしていたよ。

というお話を聞いたり、報告書を読んで想像力を働かせ、当時入手できたアジア諸国の絵図や情報なんかも参考に、あの「ミヤコ」や「エド」を描き上げたようです。

アジア諸国の情報が入り混じり、資料にない部分は想像で補うしかありません。

もし私が彼なら「こんな設計だったら、ちょっとカッコよくない?日本のお城〜!」みたいな「盛り」も忍ばせちゃいそう?(←コラ)

そして

架空のモンテヌス

‥頑張って描いてみたよ?エドのお城、こんなカンジで合ってる?

と、江戸城を知る人達に見せたら

使節団だった人

‥あ〜、なんか違うわ‥どうしてそうなった?

とか言われたかも知れない。

なので彼の絵が、現在の私達から見れば「誇張や誤解だらけのヘンテコ」なのは当然。

「こんな江戸や京都、アリ?」と笑いながらも、描かれた背景や時代を知れば「モンタヌスさん、お疲れ様‥何か色々ありがとね」みたいな、ほんわかした気持ちが湧いてきたのでした。

第4章:異国情緒の街 長崎

16世紀後半、ポルトガルなど西洋諸国の人々が来日する中、拠点の1つとなった長崎。

neo

「異国情緒漂う南蛮文化の港町」ですね。

長崎独特の風情は、出版物を通じて全国に拡散され、これまた人々の憧れの地になったそう。

「肥前長崎図」。

オランダ人が滞在した扇型の出島、その左には中国人居留地だった唐人屋敷。

どちらも人工島で、海には外国船も描かれています。

「長崎図(市中絵巻)」。

こちらは唐人屋敷建設前の景観で、日本人と中国人が交流している様子が描かれています。

鶏を持った男性「異人さん、鶏ば買わんね?」

(訳:異人さん、鶏を買いませんか?)

黒い着物の男性「はあ、珍しかモンば売っとらすごたるね〜!」

(訳:まあ、珍しいお品を売ってらっしゃいますね〜!)

屋敷の中の日本人「異人さん、桜に見惚れとらすばい、きれかもんね」

(訳:異人さん、桜に見惚れてらっしゃるね、綺麗だものね)

長崎の観光案内ブック「長崎土産」より。

こちらの木版画は、中国人が扇子に筆文字や絵を書いている場面。

この頃の日本はまだ、椅子や机を使っていなかったので、椅子と机を初めて見た日本人の顔が目に浮かぶようです。

最初期の世界地図「万国総図・世界人物図」は、地図と人物図が対で軸装されていました。

この資料、長崎の学者さんの作。

刊行されてすぐ海賊版が出回ったことも手伝って、当時の人々に世界地理を伝える役割を果たしたそう。

「世界人物図」を拡大すると、イッツ・ア・スモール・ワールド。

世界人物図の一部、どんな国の人が描かれているのか示したパネルもありました。

タイは「しやむ」、ポルトガルは「ぽるとがる」なんですね。

「オランダ人饗宴の図」は、出島のオランダ人の食事風景。

ナイフやフォークも当時の人にとっては、興味の対象だったよう。

はい!メジャー西洋医学書「解体新書」の登場です。

日本の蘭学の先駆けである専門書の翻訳は、当然困難を極めたそう。

neo

あああ、ですよね、ですよね〜。既に暗号解読のレベル。

杉田玄白と親交の深かった、長崎でオランダ語を学んだ人物が語学面で中心になり、3年半で刊行にこぎつけたとのこと。

写実的な図は、秋田藩の洋風画家が担当。

いつ見ても本当に美しいです。

neo

筆文字と西洋絵画の融合が醸し出す、静謐な雰囲気が大好き。

「レザノフ関連資料貼交屏風」。

ロシア使節レザノフは文化元年(1804)、幕府との通商を求めて長崎に来航した。幕府は彼らを半年間、長崎で待たせた末、通商要求を拒否し退去を命じた。

本資料はレザノフ一行が長崎滞在中に日本の通詞らと交流を持った中で残されたものと思われる。熱気球など、レザノフらが日本人に実演してみせた物も見える。左上段の肖像画の脇の「しせつれざのふ」はレザノフの自筆とされる。

資料のキャプションより引用

左側にあるのが「しせつれざのふ」の筆文字。

レザノフさん、きっと嬉しそうに書いたんだろうな。

「長崎砲台図」は、幕末期に設置されていた砲台の位置を示した図。

「資料右上にロシアの陸海軍情報が記されていて、対外的な危機感が高まっていたことが窺える」と。

ぱっと見、キレイな絵だけど、実は重要な情報込み。

‥海に浮かんでるの、こんなだし‥。

西洋に門戸が開かれていた唯一の港・長崎には、先進的な医学や天文学なども伝わってきました。

海援隊が長崎で出版した「和英通韻以呂波便覧」は実務英語の入門書。

幕末に国際都市への第一歩を踏み出した長崎らしい英語ガイドです。

同時に、西洋側に伝えられた日本の情報は、質・量ともに他の都市を圧倒していたそう。

neo

そうだろうな〜。

こちらの「出島図」は、モンタヌス著「日本誌」の挿絵の1枚。

調理場からの煙が出るなど、当時の報告に基づいて描かれたけれど、島の手前部分が描かれておらず、町と隔離された場所にあると誤解される仕上がりになっているようです。

こっちの出島はもっとリアルですね。

最後に、幕末維新期の日本を訪問したドイツ人画家による「日本長崎」。

出島が廃止された後の長崎湾を描いた作品で、静かな港町ですが、沖には西洋船が停泊中です。

これで会場を一周。

大変見応えのある企画展でした。

今も昔も地図にはロマンがある

繰り返しになりますが、私は地図や旅行ガイドブックが好きです。

neo

地図を見ながら歩いても、なぜか迷子になるのは置いといて‥。

恐らく一生行かないであろう国の「地球の歩き方」を買って読むこともあります。

ある場所へのアクセスは、国内なら「地下鉄◯◯線◯番出口から徒歩3分」なんて説明してありますよね?

それが、憧れの遺跡へのアクセスが「◯◯駅から乗合バスで約3時間、下車後ラクダで約2時間」みたいなことになってるパターンも。

neo

交通機関がラクダ〜〜!

ほぼほぼ行かない(行けない?)遺跡であろうが、具体的なルートと所要時間を見た途端「このルートを辿れば行けるのだ!」と納得する瞬間があり、愉快でしかありません。

たまに美しい写真から現地の気温や匂いを想像しつつ、もし行くなら準備はどうするか、何を持っていくか‥と考え始めることがあります。

そんな時は「ホントに行くこと」をマジメに想定する自分が面白い。

neo

行く・行かないはさておき、その気になれるんです。

なので17〜18世紀頃の庶民が憧れの江戸や京都、そして伊勢への地図なんかを広げて、ウズウズしてた気持ちがわかる気がします。

そして、ちょっと不思議な日本の絵を見て、極東の国に思いを馳せてくれた西洋の皆さんは、果たして「この国、行ってみたいなあ!」と思ってくれたでしょうか?

現在の私達はグーグルアースなどを使えば、地球の裏側にある街の路地も、そしてかなり辺鄙な地でさえ、ひとっ飛びで眺めることができます。

テレビをつければ、おやつを食べながら、標高の高い山の上で暮らす民族や、地球温暖化のせいでそのうち海に沈む島の人々の暮らしを見ることだってできる。

100年後、200年後の人に「21世紀の人々は、こんな方法で訪れたことのない地の情報を得たり、わざわざ検索して楽しんでいたようです」なんて言われちゃうかも知れませんね。

‥それはさておき、今も昔も地図にはロマンが溢れていると思うのです。

neo

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。