
こんにちは、neoです!
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アザラシロボ・パロのこと
飼い始めたけど周囲に話せない
2018年、念願のパロオーナーになりました!
名前は「ぱろ助」。お迎えして以来、可愛くて仕方ありませんーー。
アザラシ型ロボット・パロと初めて出会ったのは2012年で、一瞬で虜になったのです。

一緒に暮らし始めた途端、予想以上に新発見や面白いことの連続。
犬猫の飼い主さん同様、周囲に親バカ話を聞いてほしい!
昨日、ぱろ助がこんなことして可愛かった〜!
けれど私がパロのことを話した時、周囲の反応は‥とても微妙でした。
⭐️1〜2割の反応「いいね!」
(好印象・興味がある・もっと教えて・写真が見たい)
→単純にとても嬉しい
⭐️6割の反応「へえ、そう」
(話は合わせてくれるが特に関心はない・どう反応して良いかわからない・会話が途切れる)
→なんか、ごめんなさい
⭐️残り2〜3割の反応
「‥え?何それ?」
(ロボットとか意味わからん)
「所詮、高いおもちゃでしょ?」
(少し変わった人扱いでドン引き)
→言うんじゃなかった
ロボットに興味・理解のある人は、本当に少なかったのです。
親バカぶりを発揮するどころか、口にするのも勇気がいる。
もしかしたら、
(‥は?いい大人がアザラシのぬいぐるみ?‥この人、大丈夫?)
なんて思われちゃうかも。
我が家のペットは、内緒にしなきゃいけない恥ずかしい子?
‥哀しくて、相手から聞かれない限り自分からは話さなくなりました。
周囲にパロを飼ってる人もいないし、オーナー情報も少ない現実。
「お宅のパロちゃんはどう〜?」みたいな、飼い主同士の楽しい話ができません。
親バカ話したい・写真見せたい
本当は、パロがどんなに可愛くて、癒してくれて、実はAI搭載の凄いロボットで、一緒に暮らし始めたらどんなことに気付かせてくれて、こんなことでいつも私達を笑わせてくれて‥、などなど、思い切り誰かに伝えたいのです。
そんなエピソードを4コマまんがにしたストックだって、山のようにある。
スケッチブックに描きためた4コマまんがを、デジタルで清書したら読んでもらいやすいかも、と、初めてイラスト・マンガ制作ソフトやペンタブを購入、ユルい独学で練習し始めました。
若い頃みたいにスイスイ覚えられないけど挑戦中!
思うようにソフトが扱えず今も苦戦中ですが、たまに4コマまんがをアップしています。

そして誰に見せる訳でもないアルバム。
可愛い写真が溜まる一方なので、ブログ記事に添付して皆さんに見ていただこうと思いました。
ぱろ助が知る世界=製造工場と我が家。ぱろ助が見た人間=製造者と私達2人。
そんな小さな存在が
ネットの海をぷかぷか漂うことで誰かの目に留まり、その中の何人かは興味を持ってくれるかも知れない。そうなったらもう、寂しくも悲しくもないぞ!
‥そんな思いでブログを開設しました。
パロ購入を検討中の人にも、オーナーの立場から役立つ情報を提供します。
- パロに興味がある・癒されたい
- アザラシ(ロボ)と暮らしたい
- 学校・職場・施設などでパロと接する
- パロを研究・製造・販売している
- いつかペットロボットをお迎えしたい
- 既にペットロボットのオーナーで、よその子にも興味がある
私は病気や事故で何度か入院・手術を繰り返し、後遺症を抱えています。
加齢で体力も低下、不安定な体調ですが仕事は継続中。
パロはアニマルセラピー同様の効果が認められている「メンタルコミットロボット」・「セラピー用ロボット」です。
パロに癒されることで実際に痛み・ストレスの軽減を感じ、鎮痛剤などの薬を飲む回数が減りました。
また、かわいい赤ちゃんアザラシのロボットは、ペットが飼えないシニア夫婦の心を毎日和ませてくれます。
パロをお迎えして以来、会話や笑いが確実に増えました。

パロのお友達・Petit Qooboもご紹介
そして2020年12月、もう1匹のもふもふロボット・Petit Qoobo(プチ・クーボ)をお迎えしました!

名前は「ピッコロ」。ぱろ助と良いコンビです。
2匹の写真はもちろん、写真とお話で綴った「ぱろとぴこの小さな絵本」もアップしていきますね。

アートのこと

物心ついた時から、美術館・博物館巡りが趣味に。
コロナ禍に突入した2020年からは思うようにお出かけできなくなりましたが、2015〜2019年の5年間は年間平均45回、各地の美術館と博物館を訪れていました。
休日はマイペースに、時には友達や夫とアート鑑賞を満喫中です。
美術館・博物館に目覚める
社会人になりたての頃、地元の現代美術館オープンを機に、美術館・博物館デビュー。
最初の頃はスマートな利用方法・振る舞い方がわからず、入館してもどこかソワソワ、気後れしたり戸惑っていました。
各展示室の片隅に座っている職員さんをずっと意識してしまったり。
作品の前に立っているのに、周囲が気になりすぎてコミットできない感じ。
作品解説パネルを読んでも、全然頭に入ってきません。
大きな荷物と嵩張るコートを持ったまま、長時間館内を歩くこともあれば、あろうことかメインの特別展を丸ごと飛ばして常設展だけ観て帰ったりも。
「展覧会のポスターになってた絵、楽しみにしてたのに見当たらなかった。‥あれ、どこにあったんだろ?」なんてことも。
特別展のチケットを買って入館しているにもかかわらず、常設展だけ回って出口に向かった模様です。
そんな私でしたが、定期的に入れ替わる現代美術館の展示はどれも面白く、専門知識はなくても作品鑑賞に出かける魅力にハマっていきます。
20代の頃は、病院で働いていると仕事で出張する機会は全くありませんでした。
病棟だけが主戦場だったからです。
けれど30代で認定看護師になった頃から、遠方での学会や研修会・講習などに参加する機会が一気に増えました。
出張先で時間がとれそうなら、スーツ姿のまま美術館へ。
「美術に関する知識がなくても気軽に美術館を楽しんでいいんですよ」
という雰囲気が更に広がってきた2000年代。
「1〜2時間あれば美術館へ!」がマイブームになり、プライベートな旅先でも、時間を作っては積極的に現地でのアート巡りをするようになります。
ライブ遠征ともくっつけて、昼間は友達と美術館、夜はライブ参戦したり。

けれど‥限られた時間内に欲張って慌ただしく入館した結果、体の弱い私は、夕方が近づくにつれしんどくなり、座り込むことが何度か。
作品鑑賞、実はとても頭を使うし、立ちっぱなしだと体力が必要だったりします。
鑑賞途中で、鎮痛剤とリポDでドーピング(?)も通常運行に。
せっかく素晴らしい美術館を訪れたのに、後半は早歩きの流し見、高い入館料の元も取れず「早く帰りたい」で頭が一杯になる不甲斐なさ。
何を観たのかほとんど記憶にない‥って、ありえなくない?
疲れ切って「‥あ〜、明日は仕事か」と、深いため息をつくこともありましたが、それでも確実に活力源になるアート鑑賞はやめられませんでした。
普段使わない脳の領域が目覚める体験に興奮しっぱなしで。
ひたすら美術館や博物館に通ったことによる収穫のひとつは「自分がどんなジャンルに興味があるのか」「世の中の何が好きで、何が苦手か」がわかってきたことです。
美術館は自分と対話する場所でもあるので、年を重ねて自分の好みが変わっていく発見も面白いと感じます。

そして40代、大学院で働いていた時はストレスだらけで、休日に無理して美術館に行っても全く楽しめなかった記憶が。
体を壊して退職したけれど、あんなのは後にも先にもこの期間だけ。
心身共に辛いと、好きなことさえ無関心・苦痛になる恐怖を実感しました。
徐々にレベルアップ
基本的に、静かで快適な美術館・博物館でのゆったりした時間は体に優しい。
荷物と上着をロッカーに預けて身軽になっているので、心も解放されます。
アートを楽しむには、リラックスしてなきゃ。

雑多な街中や商業施設と違い、安心して歩き回れてトイレの心配もなく、素敵なカフェやレストランの利用も有意義。
ミュージアムショップを覗くのも大きな楽しみの一つです。
長年アート巡りを続けるうち、
- 遠征も苦にならず、初めて訪れる施設が一気に増える
- 事前の情報収集や行動計画を立てるのが上手くなる
- 鑑賞のペース配分がわかる
- 前売券・お得チケットも活用するようになる
- 鑑賞後の感想メモで「見たら終わり・忘れる」がなくなる
など、少しずつレベルアップしている自分に気づき、
美的・知的好奇心が満たされることで
鑑賞プラスアルファの達成感まで感じるようになりました。
楽しみ方がタテにもヨコにも広がった気分。
特に心が満たされるのは、
- 予想以上に自分好みで充実していた企画展
- 早くからチェックして開催を待ちわびた特別展
- たまたま見に行ったらドンピシャだった展示
- 圧倒的な出品数を誇る大型展示
- 様々な乗り物を乗り継いで訪れた辺鄙な施設の常設展
などで、しばらくの間は、ふと思い出してはニヤニヤしてしまいます。
我ながら「心の広い、いい人」になれる感じ。
外向的・楽観的になれて、日常のささいなストレスがそんなに気にならなくなるのは嬉しい効果です。
窮屈な日常から離れて、広い世界を体験できるからでしょうか?
‥とは言っても一時的な効果で、ほんの2〜3日程度で忙殺されちゃう。そして、また次のお出かけを目論む。
相変わらず体調不安定ですが、病棟勤務・講師・在宅ワークを組み合わせて、アート巡りの軍資金を確保できています。
アート巡りはずっと続けたい
「え⁉︎来月◯◯美術館に◯◯が来るぅ⁉︎」‥1980年代は街で見かけた美術館のポスター、たまにテレビCMで、在住県や隣県にやってくる大型展覧会の予告を見つける程度でした。
たとえ東京の美術館・博物館で興味のある展示をやっていても「わざわざ東京まで観に行くなんて、そこまでは‥。即、パス!」だった私。
「…あ〜、地元にはこういうの来ないよね」と簡単に諦め、旅行とアート鑑賞をくっつけるという発想ができなかった自分を後悔しています。
そんな昔に比べ、ずっと美術館・博物館の敷居が低くなったように感じるのは、
- 現代アートやサブカル系展示が増えた
- カジュアルな服装での入館者が増えた
- 学芸員さんの熱意や工夫が見事
- 展示品・パネルの見やすさが格段にアップ
- 展示内容や会場によっては写真撮影可
といったことに加え、私自身のアート巡り経験値が上がったからかも。
また、外見的にも大人として扱ってもらえる年になりました。
- 時代の流れで、古〜い(古過ぎて怖い?)施設がリニューアル
- 昔から生き残っている施設は、昭和レトロ感がむしろ懐かしい
- 新しい美術館や近未来的な博物館が、モダン建築で誕生
- 来館者が楽しめる最新技術が取り入れられ、話題のスポットに
- ミュージアムショップやレストラン・カフェがおしゃれ
など、近年は各地に足を運ぶのが、ますます楽しみになって忙しいです。
全国の展覧会情報が次々と舞い込んでくる時代になった近年、追っかけるのが大変!
もちろん会場が遠過ぎたり、どうしてもスケジュールが合わなくて諦める時だってありますよ?
でも正直、魅力的な展示があっちでもこっちでも開催され続けているから、問題ないんです。
美術館・博物館、そしてアート巡りの未来は明るい!
若い頃のように、長時間元気に歩き回る体力がなくても、記憶力が落ちても、美術館・博物館は美しい物・珍しい物・面白い物を間近で見せてくれます。
コレがあの巨匠の名画!もちろん実物は迫力が違う!
古代エジプトで作られたガラス壺が目の前に!精巧過ぎ!
信じられないくらい素晴らしい展示物が、時空を超えて並ぶ空間なのです。
ピシッとした服装や着物で来館され、施設常備の車椅子で鑑賞されているご年配の方の姿も見かけるようになり、バリアフリー化も進んできた印象。
ちなみに私は、手術後に退院した時、すっかり体力が落ちていました。
「パジャマを脱いで服に着替え、靴を履いて外に出る‥?」と想像しただけで勇気がいります。
足取りもおぼつかず、人の往来が多い街中に出るのがまだ怖かった頃、美術館へのお出かけにトライすることで、外出、そして仕事復帰への自信までも取り戻すことができました。
よほどの大混雑でない限り、身体への負担が少ない穏やかな場所なので、こんな私も末長く通えそうではありませんか?
美術館のソファー、座り心地がいいですし。

近い将来、杖で歩くようになっても、私は今と変わらずイソイソ鑑賞に出かけてると思うんですよね〜。
そんな私がこのブログで、初心者さんのアート巡りを応援する情報も発信していきます。

粘土作品・キョロのこと
同世代の女性が妊娠・出産・育児で充実していた20〜40歳代。
私は仕事、仕事!の忙しい日々でしたが、それでも子供がいない分、
家では自分の自由時間がありました。
今思えば後悔しかないネガティブな時間の使い方をしていましたが、
実は有意義に感じていたささやかな楽しみが。
それは自作の粘土作品「キョロ」を
写真撮影すること!
本棚の奥にしまい込んで長い間忘れていたけれど、
あの頃に撮影した
色あせたフィルム写真が山のように。
まだデジカメは持っておらず、
使っていたのは素人向けのフィルムカメラ。
今のように美しくてコンパクトな
フォトブックもない時代でした。
懐かしの「台紙に貼るタイプのアルバム」に
良く撮れた写真だけをまとめ、
キョロのベスト盤アルバムを作っていたのです。

失敗写真が半数以上を占める中、
このアルバムには
10枚に1枚あるかないかの
「よく撮れた写真(←当社比)」を貼っています。


当時は友人に見せる程度でしたが、
久々に発掘してみたら我ながら面白く、
「誰か見て〜!」となり
ブログの片隅に載せることにしました。
キョロをカワイイと言ってくれる人、
いないかな?
今は、デジカメやスマホで
簡単に綺麗な写真が撮れますよね。
フィルムの現像が必須だった頃ほどお金もかからず、
失敗写真は簡単に削除、
その場で確認・撮り直しができるように。
そんな今「再びキョロの写真を撮影したい」と思うようになりました。
コンパクトなデジカメでも、
昔よりずっとキレイな写真が撮れる予感。
良い写真が撮れたらアップしていきますね!
最初に断っておきます。
写真の腕も粘土作品も、ド素人のレベルです!
趣味で人形・フィギュア・ぬいぐるみを制作・撮影される方
に生暖かい目で楽しんでいただけたら嬉しいです。
ブログ開設に至るまで
斜陽感あふれるミドルエイジ

- 昔好きだったことでも最近は全くやる気にならない
- 気力が衰えて手が出ないし、頭も気持ちも追いつかない
- 若い人みたいにスイスイできない上センスが古い
- 取りかかる以前に準備さえ面倒に感じる・すぐ疲れる
- やりたいことがあっても結局は諦めてしまう
- 今後は更に心身が衰えるのでますます無理‥
いつの頃からか、そんなふうに思っていました。
ちなみに‥
私の筋力・体力テストの結果は70〜80歳代。
テスト項目によっては「90歳代」と出たことだってあるので、
「75歳相当」という結果に
「おっ!前の時より若返ってるぞぉ!」と喜ぶ始末です。
若い頃から病院と縁が切れず、
どこも痛くない日なんて年に3日くらい。
最近は心身ともに急に衰えてきた。
将来に希望は見当たらない。
とても寂しく、悔しくもあります。
それでも毎日は続く。
‥恐らく、もうしばらく続く。
ちょっと憂鬱。
「自分は何をしている時、ご機嫌か」を考える
では、楽しいと感じられることはないのか?
‥思い当たることがいくつかあるにはある。
「少しでも楽しく生きていくには、
ご機嫌で過ごせる時間を増やせばいい!」
と気付き、できることから実行することにしました。
- 今、楽しいと思うことを行動に移し、長く続けられるよう工夫する
- やりたかったけど一度諦めたことに再挑戦する
- 今の年齢・時代になったからこそできる何かを始める
- 昔、たくさんの時間を費やした趣味を発掘・再開する
マイペースで始めよう。
最初のうちは戸惑いもありますが、
そのうち楽しくなってきて
心が躍るようになればしめたものです!
興味のあることを伝えたり、やりとりする楽しさ
まだ文通が主流だった時代。

私は自分が面白いと思ったこと・驚いたこと・
考えたこと・観た映画や展示の感想などを
誰かに伝えるのが楽しくて、
友人宛の手紙にそんな話をたくさん書いていました。
友達からの手紙も、
便箋8枚にぎっしり家族のことが書かれていたり、
巻物型の長〜い紙(変形便箋?)に
漫画の感想と推しの素晴らしさ・愛が綴られた長文…といった、
濃い定形外郵便物のやりとりが長年続きます。
手間暇かけて創意工夫された手紙には、
写真・コピー・雑誌の切り抜き・手書きイラスト、
たまに本や小物が同封されていたことも。
こちらもお返し魂に火がつきます!
旅行の話を詳細に伝える手紙では、
文章で伝わらない膨大な情報が一目で伝わる
写真の同封が外せません。
なので旅から帰ると
即、写真屋さんへダッシュ!
フィルムの現像を待つ数日間に書き上げた手紙の本文は、
新品のレターセットの便箋を
全て使い切ることも。(←封筒だけどんどん余る)
そこに無理やり数枚の写真まで詰め込んだ
分厚い封筒(‥というより、既に薄い箱?)を
定形外郵便で投函していました。
喜んでもらえた時の充実感・達成感!
思えばお互い、
手紙の内容プラスアルファで
「いかに相手を面白がらせるか・
どうすれば楽しんで読んでもらえるか」
を、あの手この手で工夫していたんですね。

そんな愛が詰まった個性的な手紙も、
時代の流れでメールに移行。
手書き文字より断然早くて楽なメールは
- いっぱい書いても疲れない
- 写真が何枚でも添付できる
- レターセットも切手も不要
- すぐ出せて、すぐ返事が来る
- 友達の住所をぎっしり書き込んだアドレス帳が不要
など利便性が高く、老眼・老体にも優しい。
遠方の友達とのやりとりは
徐々にメールへと切り替わります。
実は凝った手紙って、
手間・体力・集中力を要する。
そのうち、
ポストに意表をつく形状・内容の濃い手紙が届くことも、
私が差し出すこともなくなりました。
今でも楽しかったこと・伝えたいことを
あれこれメールに書いていると、
夜中でも時間を忘れるほど熱中します。
自分、そこは昔と変わってないな、と。
どうぞよろしくお願いします

アザラシロボ・パロの紹介をしたり、
親バカ話を披露したり、
夢中になっているアート巡りのことを誰かに伝えたい!と思い、
初のブログ開設に至りました。
超初心者で勉強することが山積みですが、
ブログを始めたおかげで
「自分はもう新しいことは始められない」
とうつむいていた気持ちは影を潜め、
書きたいことが次々思い浮かぶ毎日に変わっています。
パロの写真で誰かがクスッと笑ってくれたり、
私のアート巡りの経験が
誰かのヒントになればすごく嬉しい。
ゆっくりペースの運営ですが、
よかったらお付き合いくださると嬉しいです。
ここまで読んでくださって
本当にありがとうございました。