アザラシロボ・PAROオーナーのブログ。
パロやプチ・クーボと暮らす楽しい日々・時々アートのこと。
美術館巡り

わざわざ苦手な分野の展覧会まで見に行く3つの理由

neo

こんにちは。
美術館・博物館巡りが趣味のneoです。

コロナ禍で外出や旅行が難しくなった去年から、アート巡りもしにくくなっていますね。

美術館の臨時閉館や展覧会の中止が続いた2020年。

増減する感染者数など、最新情報を気にしつつ、私はたまに近隣の美術館を訪れています。

この記事は

  • アート巡りは好きだけど、今やってる展覧会は堅苦しそう
  • 最近話題になっているあの展覧会、私はちょっと苦手かも

という人に、

  • 苦手・嫌いだからこその発見・気付きもある
  • 良いアイデアがひらめいて気分が高揚することがある

という具体例をお話をします。

「こんな楽しみ方をしてる人もいるのか」と意外に思われるかも。

【苦手な分野の展示を見に行く3つの理由】

  1. 苦手と感じる絵を通して自分の内面と対話できる
  2. 自分を客観視することで新たな発見がある
  3. 突然、良いアイデアがひらめくことがある

この記事を読めば、自分の好みとは違うタイプの展覧会にも興味が湧いてくるかも知れません。

苦手と感じる原因の探索

私が趣味のアート巡りを始めたのは30年以上前のこと。

美術の専門知識はありませんが、好きで続けています。

若かった頃はまだ美術館に不慣れで、緊張気味に興味のある展覧会だけ訪れていましたが、そのうち特に興味がわかない展覧会も「とにかく行ってみれば意外と面白い」ということに気付きました。

更にこじらせて「とても苦手な世界なので覗きに行く」というところまで進化(?)しています。

友達

はあ?嫌いな物を
わざわざ見に行くなんて物好きだなあ

‥ですよね。

その訳は、自分はこれ(作者・テーマなど)のどこに拒否反応を示すのか、明らかになるのが面白いからです。

展示室は閉鎖空間なので「そんなの、拷問でしかない!」と感じるならやめておくのが無難ですが、敢えてそこに身を置けば、ぼんやり自分が「嫌い」と感じる物の正体と、その奥に潜む感情・記憶が何なのか判明することに気付いてしまいました。

neo

負の感情の原因にたどり着くと、色んな謎も解けるの!

ただ、自分は「アート鑑賞や美術館自体がとても好き」がベースにあるので、楽しめるのだと思っています。

例えば私は苦手なアーティストのライブは見ません。我慢してまで、そこから何か得たいと思っていないのでしょう。

けれどライブ全般が好きな人の中には「会場に足を運ぶこと自体が既にワクワクするんだよ!」という人がいる。

「そもそもライブ会場の雰囲気がたまらん!知らないアーティストだけど、とりあえず行って来るー!」「あまり好きじゃないアーティストだけど気にはなっている。まだ良さに気付いてないだけかもだから、彼のファンの友達に連れて行ってもらおう」などと興味を持って笑顔で参戦するのです。

私のアート鑑賞に対する姿勢もそれと似ているので「展覧会は苦手そうなのも含めて全てウエルカム!」という心境に行き着いた次第です。

美術館には彫刻などの立体作品や音と光による作品もありますが、ここでは一番多い「絵画」で話を進めます。

直感的な「嫌い」と複雑でディープな「嫌い」

そもそも何で「この絵が嫌い」と感じるのでしょうか?

私が「苦手」と感じる理由は色々ですが、大きく分けるとどうやら

  • 先入観や第一印象での直感的な「嫌い」
  • 複数の要因が関係した深いところでの「嫌い」

の2種類ががあるようです。

先入観や第一印象での直感的な「嫌い」

絵を目にした瞬間、そこに描かれているモノ・色調やタッチなんかから受けるのが第一印象。

深く考えなくても瞬時に湧いてくる感覚だけに「あー、この色使いが好きじゃない=嫌い」とすぐ答えが出ます

neo

その日の体調や精神状態に左右されやすい判定でもある。

これは「なんか嫌い・よく知らないけど好きじゃない」レベルなので、3秒も眺めないうちに次の作品に向かいそうですが、たまたま解説パネルやキャプション(絵の横についている小さな札)を読んだら、とんでもない手法で描かれていた事実に驚くことが。

思わず引き返してガン見した途端、湧き上がる感想が180度変わる場合も多々あるので侮れません。

neo

こんなの、教えてもらわないと絶対気付けないよう!凄い凄い!

「この画家は当時、こんな壮絶な体験をして苦しんでいました。それほど大変な時期に!コレを描いた!のです」と教えられた途端「ひょえー!」となり「この人って一体‥えーっと、この人の絵、他にないかな?」なんてキョロキョロし始めることも。

私の場合、画家自身に対する印象も絵の好き嫌いに割と影響するようです。

最初は「あまり好きな絵じゃないな」と感じたくせに、大好きなあの画家さんが描いた絵だと知った途端「お!何と!」と瞳孔が開くゲンキンさ。

逆に「実は苦手な画家さんの作品だった」というだけで「(‥あ~)」と無表情で通り過ぎちゃったり。

neo

「この絵が‥」というより、描いた画家さんが苦手なパターンだね。

ええ、誰にも叱られないから大丈夫

な~んにも考えずに会場をブラブラ見て回りながら「あっ!でもこの絵は好き!」としばらく立ち止まったり、「今まで嫌いだと思っていたけど、私がよく知らなかっただけか」と自覚できたこともありました。

なので乗り気じゃなかった展覧会でも、何かと新たな発見や驚きに出会えるのです。

neo

ついでに「自分は何が好きで、何に興味があるのか」も見えるよ

複数の要因が関係した深いところでの「嫌い」

一方、深いところでの「嫌い」について。

ただの「あ、コレ嫌い」で終わる絵もありますが、敢えて「嫌い・苦手」な絵に見入るうち、そう感じてしまう原因が少しずつ浮かび上がってきます

それは描かれている激しい事象が原因のこともあれば、

  • 作家が繰り返し描く独特なモチーフ
  • 絵の背後に隠れた思念の塊
  • その作品が作られた時代背景
  • 画家独特のこだわりや考え方・生き方

など、色んな要素が絡んでいるので、自分の内面と照らし合わせながら静かに観察しなければわかりません。

ここで更に一歩踏み込むのがポイント!

neo

「本当にダメ」か「そうでもなかった」のどちらかに針が振り切ることが多いです

普段は忘れている自分の内面との対話

古今東西、人間はいつも同じようなことで悩み、苦しんできた歴史がある。

それは芸術家ならではの特別な葛藤のこともあるけれど、ほとんどは誰もが抱く普遍的な感動や悩み・欲求などで、画家はそれを自分なりの表現で絵に落とし込んでいます。

neo

控えめに仕込むんじゃなくて、増幅して爆発させてる人も多い

  • この壮大な景色、魂が震えるくらい美しい!絵に残す!
  • この女性が大好き〜!ワシ、もう、好きで好きでたまらん!
  • 戦争は本当に愚か。許せないこの怒り、抑えられない!
  • もー、病気イヤ!死ぬの、超怖い!
  • 私のこのグダグダ人生は、絶対こんな色!腹立つわー!
  • 大好きな聖書のあの場面、ちょっとワシに描かせろっ!

そんな声が絵から聞こえて来たら、もう他人とは思えなくないですか?

neo

親近感!

反対に、絵から感じた漠然とした恐怖・「自分には共感できない」という焦燥感・困惑や、ある記憶を喚起させる嫌悪感などが加わった時もチャンス。

ネガティブな感情にしばらく付き合ううち、自分の深いところに意識が向き始めます

neo

光の届かない深海にダイブ・ダイブ!

1枚の絵が引き金になって今の悩みを再認識したり、かつて交流のあった人々や、過去の記憶との対話が始まることもあるのです。

neo

♪何が出るかな 何が出るかな

対話に続くセルフカウンセリング

少し話がそれますが、私が気後れしたり反射的に苦手意識を感じるのは、俗に言う「汚いもの・気味が悪いもの・残虐なもの」ではありません。

neo

地味にコンプレックスを刺激してくるモチーフが苦手らしい

むしろ、好ましく思う人の方が多そうなテーマであることも。分かりやすい例を挙げると、私は昔「平和で幸せな家庭」がダメでした。

子供だった頃、学校の友達がみんな大好きだった仲良し家族の日常を描いた国民的アニメの数々ですら、目を逸らしていたのです。

20~30代になっても「一般的な家族像」から受ける重圧に対してうつむき加減になってしまうクチで、なんかもう勝手にいじける始末。

neo

密かに湧いてくる謎の怒り

その辺の劣等感を呼び起こす作品を前にすると、もわ〜っと心に暗雲が立ち込める。

柔らかくて温かいタッチの「明治時代の農家の家族図」でいとも簡単にやられるのだから、自分でも手をつけられませんでした。

そしてある絵本原画展でのこと。その本や作家は嫌いではなく、むしろ好きなのでウキウキで覗きに行ったところ、鑑賞中に突然「絵本を読んでくれる親がいなかった自分」を突きつけられた気がして、途端にションボリしたこともあります。

neo

あ~、もう私、大人なってもまだ気にしてる

「はいコレ!私がダメなやつー!」の答え合わせ?

けれど年齢を重ねるにつれ「以前の私だったら好きじゃなかっただろうな」と穏やかに思えるパターンが増えました。

それは知識・経験の積み重ねだけでなく、良い意味で鈍感になったことや、ある問題に絶賛直面中で常に意識していた(させられていた)年代をとっくに通り過ぎたから

人間って、それぞれの年代で特有の葛藤があるし、抱える問題が次々移り変わる存在なので、さもありなん。

neo

長い年月をかけて自然に解決・風化することも多いみたい

他の来館者が穏やかに絵を鑑賞している中、私1人が「うっわ~(汗)」と冷や汗をかいても、誰にも気づかれないのはありがたい。

絵の前で心に嵐が吹き荒れたかと思えば、空から降り注ぐ暖かい光に包まれたりもする「心が勝手に忙しい状況」は、徐々に病みつきになっていきました

さて、あなたの隣で静かに絵を見てる人の心の中はいかに?

過去と現在の統合で、今の自分を客観視

忘れていた辛い過去や、それに伴う負の感情を思い出させる絵との出会いは、まるで通り雨。

我に返った途端、雨は止み「ああ、でも思えば今は平和に暮らしてるかも」と力が抜けていくのがわかります。思えば若い頃も「中学生の時、真剣に悩んだこと」の多くは既に解決済み、と気付いて拍子抜けしたものでした。

そして「あれはもう終わったことで、今の私、何とか頑張ってるな」まで行き着けば「もういいのだ、よくやっているのだ」と感じられる自分にホッとする。

ザーッと降ってすぐ上がった雨の後の青空って、ちょっと悟りの境地

これも絵をきっかけに自分を客観視できたからこそで、苦行の後の爽快感や達成感に似ていると思いました。

残念ながらそこにはたどり着けず、何とな〜く鬱々したままの時もありますが「よし!私は今でもコレがダメってことがわかった!困った奴だ」などと自嘲気味に会場を後にできるので、むしろ愉快(←カラ元気?)ですらあります。

neo

さ、カフェでケーキ食べよ!

過去の自分には到底手に負えなかった悩みや、目の前が真っ暗になるような大問題だったことが、今は解決できていることって結構ありますよね。

アート鑑賞の真っ只中で、昔の激しかった怒りが薄れていることを思い出したり、加齢と共にいつの間にか執着を手放せている事実に気付けた瞬間は、正体不明の達成感・充実感に包まれるのでした。

neo

ケーキ、うまい!うまい!うまい!

いつでも逃げられる安心感もいい

とはいえ、苦手な空間に身を置いているのだから「ああもう、今日は全くつまんない!」とイライラし始めても不思議ではありません。

neo

「異様に疲れちゃった」とか

また、いよいよ具合が悪くなってきたら途中退場しましょう。

場を離れるタイミングをいつでも自分で決められる自由さが、展覧会にはあります

映画の途中でコソコソ退席するのに比べれば全然問題ないので、堂々と去ってください。

neo

いつぞやは展示の前半で辛くなったので、後は足早に通り抜けたよ!無事、逃げ切った感!

鑑賞中、だんだん頭が痛くなりつつも「でも!でも!こりゃ目が離せないッ!」という時は、間違いなく頭と目がギャグ漫画みたいにグルグル回ってる。

そんな時の私はヘンなテンションになっているので、頭痛込みでひたすら鑑賞を続けます

まあ、大人はあまり無理しちゃダメなのですが、アート鑑賞に限らず夢中になってる時、そんな経験ないですか?

neo

ちなみに大好きな展覧会も興奮で頭がガンガンするよ!しばらくは何も食べられなくなったりね。

美術館では空間マジックが発動

敢えて居心地の悪さを味わう時間が嫌じゃないのは、個人的には美術館という快適空間マジックが発動するからだと思っています

高い天井の快適空間が作ってくれる心理的な解放感にリラックスできるせいか、今のところ息が詰まってしまったり、深刻な事態に陥った経験はありません。

会場に設置されたソファーに座って一休みするのも好きです。「今日は色んな人が来てるなあ」とボーッとしつつ、人生経験を積まれたご年配の方がのんびり絵を見つめる姿に癒されたり。

neo

高い天井や来館者の佇まいを含めて「展示室」という平和な空間

突然アイデアがひらめくことも

不思議なことに、仕事とは全く関係のない美術館で仕事に関する良いアイデアがひらめいたり、問題の解決策を思いつくことがあります

職場で行き詰まった問題を抱えていたら、大好きな美術館で休日を過ごしているというのに、その件が頭の片隅にこびりついて離れません。

neo

あ〜ん、現実逃避しにここへ来たのに

けれどそのおかげで、ふと「あ、あの問題の根本はあそこか!それならば‥」と気付いたり「アレとコレをくっつけて考えてみるのはどうだろう?」と、解決の手がかりがひらめく瞬間があるのです。

neo

正に、天から降って来たアイデア!

また、アート的な感覚が一時的に敏感になっているのも「渡りに船」。

「今まとめている資料は、こう図解すればもっと美しくなる」だの「この切り口から例の作業に着手して、内容を違う方向に広げても楽しそう?」といった楽天的なひらめきまで生まれたことがあります。

現場で頭を抱え、眉間にシワを寄せたままでは絶対にたどり着けない妙案でした。

もちろん仕事以外のことも同様で「最近使ってないあの青い大皿にサラダを盛り付けたら、絶対美味しそうに違いないぞ!」なんて。

この現象はむしろ「やる気満々で見に行った大好きな展覧会」より「それ以外の展覧会」の方が起こりやすい気がします

neo

だって夢中になっちゃうタイプの展覧会だと、何一つ見逃したくなくて鑑賞に全集中しちゃうもん

とりとめのない発想が自由に入り込める余地もあるくらいがちょうどいいようです。

わざわざ出かけてみよう

【苦手な分野の展示を見に行く3つの理由】

  1. 苦手と感じる絵を通して自分の内面と対話できる
  2. 自分を客観視することで新たな発見がある
  3. 突然、良いアイデアがひらめくことがある

アート鑑賞で得られるものは思った以上に多いことを知って以来「ボーッと絵を眺めて歩く」のも「ちょっとドン引きしながら絵を観察する」のも楽しくてたまりません。

そんな訳で、私の「さ、今日は怖いもの見に行くぞ~!」には、密かな期待感が含まれているのです。

neo

美術館では負の感情とも静かに向き合えます。あなたも思い切って出かけてみませんか?

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