アザラシロボ・パロオーナーのブログ。
パロやプチクーボと暮らす楽しい日々・時々アートのこと。
瀬戸内国際芸術祭

【瀬戸内国際芸術祭2022】高松泊で女木島・男木島・大島へ(後編)

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

この記事は、瀬戸内国際芸術祭2022・秋会期に、女木島・男木島・大島を巡ったレポの後編(大島編)です。

1日目に女木島・男木島を訪れ、2日目に大島を訪れました。

大島にある国立療養所大島青松園・ハンセン病などについては、ガイドさんのお話や、関連資料を参考にしています。

今回は、他会場の瀬戸芸アート解説や、現地ガイドに比べ、ショッキング・シビアな内容が多く含まれています。

「それでも大丈夫」「ちゃんと知りたい」という人だけ、先にお進みください。

neo

こんにちは、neoです。

瀬戸芸

瀬戸内海の島々を舞台に開催される、現代アートの祭典・瀬戸芸。

普段は、静かな時間が流れる離島にも、国内外から多くの人が訪れる、大規模芸術祭です。

  • 春会期:4月14日〜5月18日
  • 夏会期:8月5日〜9月4日
  • 秋会期:9月29日〜11月6日

今回の1人旅は、秋会期終盤の10月下旬。

1泊2日で、3つの島に行ってきました。

  • 1日目:女木島・男木島
  • 2日目:大島

女木島・男木島のレポを読みたい人は、こちらの前編で。

【瀬戸内国際芸術祭2022】高松泊で女木島・男木島・大島へ(前編)瀬戸芸2022・秋会期に、女木島・男木島・大島を巡ったレポの前編(女木島・男木島編)。1日目に女木島・男木島を訪れ、2日目に大島へ。...

この記事(後編)は、大島オンリーのガッツリレポ。

女木・男木・大島の3島は、香川県の高松港から20〜40分の距離にある島で、

シャチホコの形をしているのが、大島です。

neo

瀬戸内海に浮かぶ、シャチホコだね。

2019年の瀬戸芸で訪れて以来、ずっと気になっていた島。

秋会期、1人旅の2日目で、のんびり出かけてきました。

neo

大島の歴史やアート作品から、色んなことに思いを巡らせた1日。長めレポなので、のんびりお付き合いくださいね。

大島はこんな島

大島には、国立療養所 大島青松園があり、現在も多くの高齢者さん(元・ハンセン病患者さん)が、入所されています。

1931(昭和6年)年に国が制定した「らい予防法」によって、ハンセン病に罹患した人々は、まるで犯罪者のように収監され、日本各地に作られた療養所に閉じ込められました。

当時は「一生治らない、恐ろしい伝染病である」として、各県が競うように感染者を通報し、医師や市町村の職員が、警官と一緒に自宅に押しかけ、強制連行・隔離したそうです。

1996年(平成8年)に「らい予防法」は廃止されましたが、入所者さん達は高齢化し、後遺症による、重い身体障害を持っている人もいます。

私は10代の頃、岡山県にあるハンセン病の国立療養所(邑久光明園)の、施設見学をしたことがあります。

その時に学んだことは、

  • ハンセン病は、かなり感染力の弱い、まれな病気であり、戦後に開発された特効薬で完治する
  • 患者さん達は、国の誤った政策によって、長い間、偏見・差別を受け、療養所に隔離された
  • 患者さんは、病気の症状による身体的苦痛と、精神的な苦痛でとても苦しんだ
  • 時代と共に、社会の認識も変化している・忘れられかけてもいる
  • 高齢化した患者さん達が、現在も各地の療養所で暮らしている

というレベル。

施設見学中、開放感あふれる島の絶景に目を見張った、当時の私の感想は‥

10代のkneo

そっか。だけど今は、こんな穏やかな島で、ゆっくり療養生活を送られているんだな〜。よかった、よかった。

‥私、職員さんから受けた説明以上のことは全く汲み取れず、過去に起こった「出来事」の、うわべしか見えていませんでした。

neo

あれは、40年くらい昔。今思えば「らい予防法」がまだ生きてた時代だったから、施設側も「思わず引き込まれるような、伝え方の工夫・正しい情報提供」みたいな発想が、なかったんだろうな。

‥で、2019年の瀬戸芸をきっかけに、ハンセン病とその患者さん・ご家族が歩まれた人生について知り、大きなショックを受けることになります。

今回のレポは、アート作品の紹介に欠かせない、大島の歴史なども添えてみました。

neo

もちろん、瀬戸内海の絶景もいっぱい!よかったら是非、読み進めてくださいね。

高松港〜大島

前日に、女木島・男木島を巡り、高松市内に1泊した私。

2日目の朝、元気にホテルを出発しました。

市内でよく見かける、ことでんバス。

水色の車体に、可愛過ぎるキャラ・いるかの「ことちゃん」がこんなに。

おお、ことちゃん、お見送りありがとう!

高松港から、大島に渡ってくるね!

大島行きの乗船券は、無料です。

第1桟橋に着いたら順に検温、整理券を受け取り「瀬戸内国際芸術祭で、大島に来島される皆様へ」に目を通します。

プリントに書かれているのは、

  • 島に渡る前に(高松港にて)
  • 船内での注意事項
  • 島内での注意事項

など。

大島には、立入禁止になっている入所者さんの生活区域があり、そのエリアの地図や、入島者が守るべきルールなどが、わかりやすく説明されています。

「これらの注意事項を守って、作品鑑賞等をお楽しみください」

‥了解いたしました!

‥あっ!島にイノシシ出たんだ!

「単独での行動は避けて」とありますが、作品鑑賞目的で、1人で山道に入る気マンマンの私。

(^▽^;)

スタッフさん

‥多分、大丈夫だとは思うんですけどね「目撃情報があった」とのことなので、気をつけてくださいね。

とりあえず「もし、イノシシに出会ってしまったら?」という対処方法の丸暗記、完了。

市街地から隔離された、別世界の大島。

施設見学や、瀬戸芸で大島に渡る人は、高松〜大島間の官有船を利用します。

neo

だから、無料なの。

島民・関係者以外の人は、下階の船室へ。

検温済みの印、瀬戸芸リストバンド。

あ〜、上着を羽織ったり、袖をまくり上げると隠れちゃうから、リュックにつけちゃえ。

島までは、30分の船旅です。

民間船と違って‥ユルく護送されてるっぽい雰囲気も?

だって、船内は、私語厳禁・飲食禁止。

しかも、窓が高い位置で、全くお外が見えないんだもの。

皆さん、ひたすら静かに座っています。

neo

‥白い壁ばっか見つめてても、つまんない。お外、ちょっと覗いてみよ。

‥うわお!目の前が海面!

官有船は、順調に大島に向かって、グングン波をかき分けていました。

‥あれ?突然、船のスピードが落ちたよ?

時計を見ると、ちょうど到着時刻。

どうやら、大島港に入港したようです。

太陽が眩しい!

桟橋から、島へ上陸。

透き通る海と白い砂浜・青い松が、出迎えてくれました。

国立療養所 大島青松園の門。

この先のエリアは、関係者以外、立入禁止です。

島内ガイドさんと歩く

入島者は、桟橋付近の案内所(眉山亭)付近に集まります。

ガイドさん(黄色の矢印)から、島についてのオリエンテーションを受ける入島者。

この後、自由行動する人と、ガイドさんの説明を受けながら、約30分、一緒に歩くグループにわかれました。

手書きの大島案内や、高松に戻るの船の時刻の表示も。

neo

滞在時間は、約3時間半。前に来た時と同じく、まずはガイドさんとの島歩きからスタート!

島の中央部

この日のツアーには、10人弱が参加しました。

ガイドさん

こちらの社会交流会館は、かつての居住棟を改装したものです。島内は熱中症予防の水分補給以外、飲食禁止ですが、この中にカフェがありますよ。

ハンセン病について学べる資料・島の歴史などが展示された、社会交流会館。

neo

誰でもウエルカムだから、ガイドツアーの後、寄ってみよう。

大島会館は、福利厚生施設。

来島者と入所者の交流を深めたり、入所者さん達が、演芸・娯楽・音楽などを楽しむために利用しているそう。

島内の複数箇所に設置されたスピーカーからは、ずっと優しいメロディが流れています。

これは、目が見えない人にも、今いる場所がわかるように設置された、盲導鈴(もうどうりん)。

分かれ道や、主な建物の前で流れる曲は「乙女の祈り」と「ふるさと」の2パターンです。

視覚障害(弱視・盲目)は、ハンセン病の症状の1つ。

病気の発見・治療が遅れたことで、目の不自由な方が、多くおられます。

ガイドさん

かつては、鈴だった名残りで「盲導鈴」と呼ばれています。現在の入所者さんは38名で、平均85歳超えになりました。

白い柵は、盲導柵。

杖ユーザーさんが、杖でカンカン叩いて、確認しながら歩行するための柵。

昔は、1人で歩いている入所者さんの姿があったものの、今は、ほとんど見かけないそう。

neo

それも、高齢化が進んだ結果なんですね。

舗装道路の中央には、通常のセンターラインではなく「盲導線」。

曲がり角では、ラインが直角に枝分かれ。

街中の黄色い点字ブロックのような出っ張りはなく、道路に直接、塗料で白線が引かれていました。

ガイドさん

視力の弱い人達が、車椅子などで移動される時に頼りにするのが、この白線です。

祈りの場

坂を登って、納骨堂に向かっているところ。

見晴らしのよい高台に到着。

日が高くなり、気温も上がってきたので‥

日陰に集まり、ガイドさんの説明に耳を傾ける私達。

ガイドさん

ここは、入所者さん達の遺骨が眠る、祈りの場所です。納骨堂には、約1450名の遺骨が納められています。

この記事では、ガイドさんのアイコンはずっと笑っていますが、常に真摯な表情で説明してくださっています。

昔の日本は、栄養状態・衛生状態が悪く、病気の症状がゆっくり進むため、発見が遅れがちでした。

島に収監された時は「病気が治れば、家に帰れるだろう」「2〜3年の療養で、元気になるだろう」と思っていたのに、

島から一生出られないと知って絶望し、ここで生涯を終えた患者さん達。

差別を恐れて家族と縁を切り、身元がバレないよう、名前を変えて入所した患者さん達を、強制的に入所させていた国の政策は、約90年も続いていました。

時代は変わり、病気も治って「島から出てもいいよ」と言われたところで、既に帰る場所がない人達が、静かに眠っておられます。

ガイドさん

「南無佛」には、開所時から1936年までに亡くなられた、674名の遺骨が納められています。当時は、まだ納骨堂がなかったのです。

右隣の「鎮魂の碑」は、生まれてくることのできなかった、赤ちゃん達の供養塔。

まだ子供だったり、10代で発病した若い人も、強制的に収容されていた療養所。

患者同士で結婚はできましたが、断種・堕胎手術が強要され、子供を持つことが許されませんでした。

neo

‥‥‥。

瀬戸芸をきっかけに、この地を訪れた私達は、一体、どんな気持ちで手を合わせれば‥?

ガイドさん

心の中で「来ましたよ」と、唱えていただければ幸いです。1番右の碑は、医師として初めて園長を務め、島で生涯を閉じた、小林博士の慰霊碑です。

ガイドさん

初代所長は、警察官僚だったので「小林博士こそ、真の初代所長」と慕う入所者さんも、多かったそうです。

絶景に浮かぶ、2つの島は「兜(かぶと)島」と「鎧(よろい)島」。

‥え?兜と鎧って?

ガイドさん

ここは、源平合戦の激戦地も近いんですね。合戦の後、右の島には兜、そして左の島には、鎧が沢山流れ着いたことから、つけられた名前だそうです。

neo

‥‥‥。

約800年前の「屋島の戦い」が、島の名前のルーツとは。

ツアーでは、ところどころ立ち止まり、歴史的建造物などについて、簡単に説明を受けながら、アートエリアの入口へ。

neo

ガイドさんから聞いたお話、この後のパートで、小出しします。

あっという間の30分、ガイドツアーは終了。

解散後、帰りの船の時間まで、各自で自由にアートを鑑賞したり、島内散策を楽しみます。

1人で島歩き

リングワンデルング

最初に向かう作品、楽しみでたまらないやつ。

鴻池朋子氏の「リングワンデルング」です。

シャチホコ形の、大島。

「リングワンデルング」は、シャチホコのしっぽ部分・北側の山(勝手に「しっぽ山」と命名)の中腹を、ぐるりと1周する道に設置された、アート作品になります。

ほら!

地図で見ると、輪になってる道、とってもわかりやすいでしょ?

neo

「1周およそ20分」‥ということは、私の足だと、30分くらいだな。

まずは、登山口までの上り坂。

ある程度登ってしまえば、山の中腹を、ほぼ並行に歩く道なので、比較的平坦なハズ。

neo

お山の小径のお散歩なんて、楽しそう!

登山口に到着。

おう!「イノシシ注意!」の看板、ここにも。

neo

「もし私がイノシシに遭遇するとしたら、しっぽ山」とみた!

瀬戸芸パスポートを取り出し、作品番号の上に‥大島スタンプを、ポン!

neo

1個目ゲット。今日は、大島の作品を全部見て回りま〜す。

1933年(昭和8年)、若い患者さん達が、自力で掘ったという「相愛の道」を、現代アーティストの鴻池氏が復活させました。

1.5kmの散策路には、盲導鈴も盲導線もありません。

聞こえるのは、可愛い鳥の声くらい。

隠れた瀬戸内の絶景を望めるの、かなり楽しみです。

貸切で、秋の大島の自然を体感しましょう。

neo

他の皆さんは、予想通り、先に建物内のアートを鑑賞中。だから私は、1人でここに来たの。

しっぽ山から、シャチホコの頭側を望む風景。

茶色い屋根の平屋建てが、ズラリ。

あっ!

アーティストさんが作った看板、あった!

「リングワンデルング」とは、悪天候で方向を見失った登山者が、無意識に円を描くように歩くことをいう、登山用語。

neo

‥あ〜、方向音痴の私も、知らない街で道に迷ったら、無意識に狭いエリアをグルグルしてるわ。

だけど、しっぽ山の散策路なら、私でも遭難しない。

‥ところで「リングワンデルング」に入るまで、ずっと盲導鈴から聞こえていた、優しいメロディは「乙女の祈り」でした。

歩調に合わせて、頭の中で繰り返し、かの曲のイントロ部分が、自動再生され始めます。

♪ドドシシ ララソソ ファファミミ レレド〜

neo

♪フンフフンフ フンフフンフ フンフフンフ フンフフン〜

おや、また看板だ。

‥何だろう?植物の説明とかかな?

‥いや、そうじゃなかった。

散策路を歩いていると、ところどころに水色のプレートがかかっているのです。

ここは、一生島から出ることを許されなかった患者さん達が、自分達の力で掘り、しばし日常を離れるのを楽しんだ山道。

‥ん?

北の‥遠吠え?

小さな下り坂が、海側に伸びています。

ああ、地図にあった、唯一、右側に別れる道だな。

スタッフさんが「イノシシの件で、浜に降りる道は閉鎖しています」って言ってたから、きっとこの先は、行き止まりになってる。

neo

‥でも、ちょっとだけ、覗いていい?

わ〜!

脇道が作られた理由、一目瞭然!

メインルートに戻ると、絶景ポイントに丸太椅子。

そうか、このあたりで、ちょうど半周。

5合目‥といっても、山頂を目指す登山とは違い、散策路の中間点、ということ。

軽く息を切らしながら、木に取り付けられたプレートを見つけては立ち止まり、この島で生きた、入所者さん達のリアルな体験に触れる‥。

そんな、時空を超えた、大掛かりなアート作品。

この道が作られたのは、90年くらい前。

色んなことに想いを巡らせていると「何周でも、グルグル歩き続けられるんじゃないか」って、錯覚しそう。

neo

‥‼︎ 突如「乙女の祈り」のイントロと、作品名「リングワンデルング」が合体した!

♪リングワンデ ルングルング リングワンぐるんぐる〜ん

‥な、謎歌、爆誕!ww

neo

‥独り歩きに、こりゃいいや!

歌に合わせて、1歩1歩くと、どこからか元気が。

‥おっと、次のプレート。

‥唯一、触覚が残されたのが‥唇‥。

唇以外、何に触れても「触った感覚」がない人生とは‥。

neo

‥その場限りに近い、私の軽薄な深刻さが、木々に溶けていく。そんなアート鑑賞。

♪リングワンデ ルングルング リングワンぐるんぐる〜ん

脳内で謎歌が流れ続けるおかげで、歩くスピードも保たれています。

ああ、視界が開けた!

空が広くて、高い。

この海の色!

限りなく綺麗すぎて、悲しくもある。

閉ざされた島での共同生活。

‥そんな中、患者さん達が集まって、賭けごとを楽しむ。

ああもう、最後のプレートに書かれた、このエピソード。

アーティストさんは、めっちゃ重いエピソードではなく、敢えてコレを?

neo

‥読んだ人は、クスッと笑うとこなんだろう。

華奢な竹が茂る、竹林に突入。

次々、風景が移り変わって飽きさせません。

こんな地面、どこか懐かしい。

子供の頃、竹林で遊んだ時に見たと思う。

neo

♪リングワンデ ルングルング リングワンぐるんぐる〜ん‥

9合目。

そろそろ頂上‥ではなく、ゴール地点が近づいてきました。

「9合目」の次の看板が「10合目(頂上)」ではなく「地上(1合目)へ」という奇妙さが、何とも。

眼下には、建物も見え始めています。

患者さん達が、しばしのエスケープを楽しんだ「相愛の道」と「日常エリア」の境界。

いつの間にか木々は消え、どこか殺伐とした風景に。

neo

山で植物が育つことのできる、ギリギリラインが「森林限界」。ネーミングセンス、素晴らしい。

ここ、しっぽ山の森林限界の先は、険しい断崖絶壁や、雪に覆われた山頂ではなく、

閉ざされた日常生活を送る、いつもの集落。

患者さん達は、能天気に「‥は〜!楽しかった、さ、お家帰ろ!」とは、ならなかったんじゃないかな。

neo

‥「自分は、またあの世界に戻るしかない」みたいな、寂しい諦め。私(状況は全く違うけれど)少し身に覚えがあって、胸がチクッと痛む息苦しさを感じた。

‥バイバイ、しっぽ山。

ガイドさんが言ってた「島内八十八ヶ所巡り」を通って、作品展示エリアを目指すことにしました。

島内八十八ヶ所巡り

大島では、島にいながら、四国八十八ヶ所巡りができるようになっています。

また、様々な宗派のお参りができるようになっていて、小さな教会などもある宗教地区も。

ガイドさん

昔は、自分で発病に気付いて家族の元を去り、八十八ヶ所巡りの旅の途中で、大島に収容される人も多くいました。

お寺の名前が入った、石仏がズラリ。

資料によると、古いものは大正初期に寄贈されたようで、苔むして石の角が丸くなり、掘られた文字が読めない石仏も。

neo

そうだ!八十八ヶ所巡りなら、こないだ行った、屋島寺のがどこかにあるはず!‥屋島寺は‥確か84番。

2週間前に行ったばかりの、狸がいっぱいいた、屋島山上のお寺。

(※参考写真:屋島寺)

え〜っと、60番台、70番台、80番台‥84番、発見!

屋島寺さんは、まだ新しく、仏様と空海様の細かい彫りまでクッキリ!

なぜか、バッタリ知り合いに会ったような気分(?)で、合掌しました。

更に坂を下り、地上の作品エリアへと向かいます。

neo

‥今思えば、1番のお寺から順に、丁寧に歩けばよかったなあ。‥八十八ヶ所巡りがラクラク叶っちゃう、絶好のチャンスだったのに。

寮周辺のアート作品

今回は、他会場の瀬戸芸アート解説や、現地ガイドに比べ、ショッキング・シビアな内容が多く含まれています。

「それでも大丈夫」「ちゃんと知りたい」という人だけ、先にお進みください。

ズラッと並んで建つのは、同じ作りの長屋。

かつて、自立生活が可能な入所者さんが生活していた「寮」で、1982年頃に建てられたそう。

ガイドさん

ここには、軽症で独身の患者さん達が、労働しながら住んでいました。できるだけ少ない予算で済むよう、多くの患者さんを部屋に詰め込んでいた昔は、1人あたり、2畳分のスペースしかなかったそうです。

そんな寮の空き部屋を利用して、瀬戸芸作品が展示されているのです。

まずは、アーティスト・田島征三氏の作品群から。

「青空水族館 2013」は、パッと見、楽しそうだけど「想い廻らせると、悲しみが籠められた水族館」。

ガイドさん

氏が描いた絵本「海賊」の、立体作品になっています。

泣いてる人魚さん。

「‥ゴトッ」‥。

neo

‥あれ?今、薄い板の上に、何か小さな物が落ちた音が?

じーっと眺めていると、また「‥ゴトッ」。

左目から、涙がこぼれ落ちていました。

接着剤で床に固定してあるのは、おはじきみたいな色付きガラス。

人魚の目から落ちた、丸く透明な涙が、その間を縫うように転がって、静止します。

この絵のタイトルは「脱走するさかな」。

島を脱走したかった患者さん達を、彷彿とさせます。

neo

心なしかポジティブな表情で、みんな同じ方向を目指してる。

作品名「すてられた海」。

資料で「かつてハンセン病患者は、偏見や差別を受け、療養所に捨てられた」という表現も見かけました。

海岸の漂流物や廃材・木の実などが使われた作品です。

暗い室内で光る作品「深海のミジンコたち」。

それぞれ、淡い色がキレイ。

普通の毎日を送っていたある日、ハンセン病にかかって強制隔離された、老若男女1人1人の命と、暗闇に灯る明かりが、ぼんやり重なりました。

「海の妖精たち」。

回遊型のインスタレーションなので、区画ごとに全く違う雰囲気です。

例えば、この写真1枚だけを見せて「大島っていうキレイな島で、こんなアート鑑賞してきたよ」と言ったら‥?

「へ〜、初めて聞く島だけど、オシャレな、今っぽい島かな?」なんて、イメージ(誤解)されると思うの。

neo

‥それって、ある意味、情報操作?それでも、大島に興味を持つきっかけにはなるかも。

現在の大島は、誰でも訪れることができる、のどかな島になっています。

入口の「泣く人魚」に対して、出口の「怒る海賊」。

悲しみの青、怒りの赤。

水族館を出ると‥

こちらも、田島氏の作品「森の小径」。

隣の長屋との間に作られた、車椅子やストレッチャーで巡る庭で、植えられているのは、大島の植物。

「作られて6年の月日が、植物を育てた」とあります。

花や実をつけた植物も。

これは何の実?

後で検索したら「トベラ」だそう。

人生を傷つけられ、絶望の中に老いた身を横たえている入所者の方々の生きる力をかきたてることが、植物にはできるのではないか⁉︎ストレッチャーの上に横たわって、この森を巡れば植物が彼らに春や夏の話を聞かせてくれるのではないか⁉︎病のために盲目になった方は多い。例え視覚が奪われていても、植物たちは彼らに秋や冬の物語をしてくれるに違いない。

■瀬戸内国際芸術祭2022 大島 田島征三作品 解説プリント「ぼくは今、作庭の熱をたぎらせている」より

入所者さんがまだ若く、お元気だった頃に、しっぽ山の「相愛の道」を散歩した記憶・懐かしい故郷の思い出などを、このお庭が呼び起こしてくれる。

‥それは、お年を重ねた入所者さんにとって、どれほど癒される時間であることか。

そんな大切なお庭に、お邪魔させてくださって、ありがとうございます。

ガイドさん

現在、入所者の皆さんは、別の建物で生活されていますが、お元気な方は歩いて、車椅子の方は職員さんと一緒に、この辺をお散歩されたりもします。

そして、入所者さんが大切に育てた盆栽や鉢植え。

島を訪れた私達が、道から鑑賞できるよう、きれいに並べてくださっているのだそう。

あれは黒松‥かな?

美しい枝ぶりは、長い年月、たくさん愛情を注いでもらった証拠です。

島の太陽を、全身に浴びた大きなアロエ。

もうすぐ、鮮やかな赤い花を咲かせるのでしょうね。

次の建物「Nさんの人生・大島七十年 〜木製便器の部屋〜」は、敢えて撮影していません。

【どんな作品なの?】

16歳でハンセン病に罹患、ある日突然、この島に連れて来られて以来、70年を過ごされているNさんから聞いた、入所時の出来事・島での生活・結婚など、Nさんが生きた、壮絶な人生がテーマの作品です。

アーティストさんは、同じ高知県出身、しかも4歳違いという、ほぼ同年齢のNさんが、病気にかからなかった自分とは、全く違った人生を歩んできたことに驚き、大きなショックを受けたのだそう。

Nさんがこの島でどんな思いをし、どんな経験をされたのかヒアリングし、それを長屋の廊下をつなげた、5つの部屋で表現したアートです。

neo

気になる人は、是非、実際の作品を!‥Nさんの畑では、今でも大事に作物が育てられているそうです。

‥お次の建物に移ります。

作品名「希有の触手」。

部屋全体が、濃紺!

眩しい外とのコントラストが強烈。

大島を撮影し続ける入所者・脇林清さんを撮影した写真が展示されいます。

ガイドさん

入所者さん達で結成された、写真クラブのメンバーで、最後のおひとりが、脇林さんです。

ハンセン病によって、手足が変形した脇林さん。

モノクロのポートレートが、私に訴えかけることって?

カメラマン・脇林さんが、真剣にファインダーを覗いていらっしゃいます。

作りつけのクロゼットの引き出しには、月が。

濃紺の部屋に、ぼうっと浮かぶ、白い月。

玄関脇に置かれた靴も、入所者さんの忘れ物でしょうか?

‥新しくも、そこまで古くもない、微妙なユーズド感。

neo

大島に来たらね、こういう物を見ただけで、色んな想像が頭を巡るの。

さっき聞いた、ガイドさんの説明を思い出します。

ガイドさん

お元気な入所者さんは、今でもこの畑に通われるのが楽しみで、作物を育てていらっしゃるんですよ。

閉ざされた離島で、何かが育ち、成長する過程を愛でるのは、きっと想像以上の喜びがあるのだと思います。

お次は「つながりの家」「海のこだま」と名付けられた、かつての「15寮」。

島に唯一残された、古い木造船が展示されており「大島の記憶と、入所者の生きた証に触れられる」とあります。

‥うん、寮のすぐそばは、海。

今はこんなに整備されているけど、かつては、いきなり砂浜だったのでしょう。

振り向けば、しっぽ山。

さっき「リングワンデルング」で歩いた山です。

社会交流会館で見た、昔の大島の写真の中に、この浜から船で漁に出ていた、入所者さん達の写真がありました。

neo

正に、この場所。地引き網と一緒に船に乗ってる人も、海岸で出迎える(見送る?)人も、恐らく患者さん達で、活気ある写真だった。

ガイドさん

昔は、逃走を防止する目的で、船を持つことが禁止されていました。それが、海に出て釣りをしたり、無人島で漁をする許可が取れ、木造船で漕ぎ出すことができるようになりました。

ガイドさん

辛いことが多かった入所者さん達でしたが「(海に出るのは)楽しかった」と話されています。海の上では、病のことを忘れられたり「この海は、故郷に繋がっている」と思えたそうです。

おや、あの建物は初めてだな。

この中に展示されているのは、解剖台。

前回(2019年)の瀬戸芸では、まだ野外に展示されていたものです。

ガイドさん

この建物は、春に建てられました。

neo

‥そっか、雨風を凌げる、お家を作ってもらったんだね。

解剖室を解体した時、西海岸に捨てられていた解剖台。

2010年の瀬戸芸に先がけて引き上げられ、入所者さんとの相談の結果、展示したのだそう。

写真で見るより、ずっと小さな石造り。

真ん中で2つに割れていたようで、大きなヒビが。

ガイドさん

表面にフジツボなどが付着しているのは、長い間、海岸に放置されていたからです。

亡くなった療友(一緒に闘病・療養する仲間)を、解剖台に運ぶのも、患者さんの仕事だったそう。

今は静かに、大島の歴史を物語っています。

最後の建物に、やってきました。

ここにも、壮大なアート作品が展示されています。

「歩みきたりて」は、歌人・政石 蒙さんの足跡を辿った作品。

以下は、作品解説プリントの要約になります。

愛媛県生まれの政石さんは、10代でハンセン病を発病。

「病気を誰にも知られないうちに、戦争で死のう」と、1944年に軍隊に入隊しました。

満州に派遣されたものの、戦死できず、ソ連軍の捕虜としてモンゴルに抑留され、そこでハンセン病が発覚。

捕虜収容所の外れの隔離部屋に、1人で隔離され、極限的な孤独と絶望の中で、草の茎で地面に文字を書きつけ、初めての短歌を読んだといいます。

1947年、何とか復員していったん帰郷しましたが、翌年、大島青松園に入所、85歳で亡くなるまで、短歌・随筆・文芸作品を書き続けました。

neo

愛媛→満洲→モンゴル→大島‥。

政石さんの遺品資料や、映像インスタレーションが展示された室内。

この地図は、政石さんの蔵書の巻末に掲載された地図を、複写・拡大したもの。

政石さんご自身が、ウランバートルまで移動した軌跡を、ピンクの線で書き込んでいます。

目録によると「小石の数は、この島の療養所で生を全うした入所者の数に対応している」そう。

政石さんの作歌ノートからの転写。

「死のかたち 生のかたちに 触れにつつ 己が死の様 識る術のなし」

床の間には、解体された大島神社の残骸や、島で集めたものが、並べられていました。

手前のプリントが、展示物目録。

鑑賞中は、文字が小さくて読めなかったので、1枚もらって帰り、後でじっくり読みました。

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「‥アレって、そんな貴重な品だったのか!」みたいな発見も。目録を読まなかったら「?」のままだったな、危ない危ない。

らい予防法違憲国賠訴訟の関連資料も。

これは「勝訴の箱」。

原告の1人だった政石さんは、勝訴した時の新聞記事を、故郷の町の特産品・桃の箱に入れて、大切に保管していました。

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‥えっ⁉︎原告側が勝ったの、2001年5月⁉︎‥たった20年くらい前の話じゃん!

みんなの願いが、政府が届くまでには、長い長い年月がかかりました。

そして勝訴の後にも、社会にはまだ偏見や差別が残っていて、今も続いています。

こういうシビアな歴史や個人体験って‥文字ギッシリでは、今の時代、伝わりにくそう。

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「現代アート」を通して、感覚的・直感的に伝えてくれる、アーティストさん達の尊さ。

映像作品は、政石さんの故郷・ウランバートル・大島の3カ所で撮影されたもの。

それぞれの地から持ち帰った、花や水・砂も。

ガイドさん

展示室内では、政石さんが抑留されたモンゴルの、ホーメイ(ホーミー)も流されています。

‥ホントだ!

ホーメイは、1度聞いたことがある人ならすぐ気付ける、不思議な歌声です。

お隣の部屋は、作品名「海峡の歌」。

ガイドさん

四国本土の庵治町と、大島の間の海峡を、アーティストさんご自身が、泳いで渡った記録から生まれた作品です。

かつて、対岸まで泳いで、島から脱走しようとした多くの人達が、潮に流されて亡くなったのだそう。

島にこだまする「遠吠え」について、アーティストさんの想いが、書かれています。

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‥‥‥。

解説によると、大島から、

  • 政石の故郷・愛媛県まで184km
  • ウランバートルまで:2706km
  • 四国本土・庵治町まで:2km
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庵治町までは、たった2kmか。

‥物理的な距離が信じられないほど、昔の本土と大島は、果てしなく離れていました。

展示室内には、政石さん作の短歌を、子供達が可愛い声で読み上げる声が。

‥全て、ズンズン心に響いてくる短歌。

これで、寮の建物内に展示された作品は終わり。

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2019年の瀬戸芸より、作品数が増えてたなあ。

質素で画一的な建物の中に、これほどの世界が広がっていることに、脅威すら感じませんか?

ガイドさん

「声の楔」という作品が、少し離れた所にありますので、是非立ち寄ってみてください。

「少し離れた所」とは、温室跡。

‥あれか!

公式ガイドによると「大島で触れることのできる声を掬いとり、温室跡にて陽のもとに差したてる」とあります。

‥底知れないほど悲しい、決意表明。

この次に語る言葉は、絶望?希望?

どこの街から島に連れてこられた人が、このミシンで、何を縫っていたの?

縫い上がった時、嬉しい物?それとも‥。

暑い温室内に、朽ち果てた展示物。

大島に染み込んでいる、入所者さん達の叫び声。

「姉の面会 果たせずに逝く」。

‥最期まで、お姉ちゃんに会いたかった、1人の男性の無念でしょう。

neo

きっとね、お姉ちゃんも、ずっとあなたのことを心配しながら、生きていたと思うよ。

そばに吊るされた鳥籠には、底がありませんでした。

島から出られない入所者さん達は、故郷や家族・友人の元に、飛んで行きたかっただろうな。

島の史跡の1つ、井戸。

海抜の低い島の中央部は、井戸を掘っても塩分が多く、長い間、水に泣かされてきた歴史があります。

水汲みの仕事も、軽症患者さんが担っていたそう。

ガイドさん

1965年、島に水道が引かれるまで、井戸での水汲みが続いていました。

‥あっ、繰り返します。

この記事では、ガイドさんのアイコンはずっと笑っていますが、常に真摯な表情で、お話してくださっていました。

後で読んだ資料には「昔は、料理・洗濯・大工や道路工事、畑仕事など、療養所の仕事を患者達にさせていたせいで、怪我をしたり、病気を悪化させていた」「職員に逆らうと、監禁室に入れられた」とも。

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‥‥‥。

島の中央部に戻ると、盲導鈴から流れていたのは「ふるさと」のメロディ。

♪う〜さ〜ぎ〜 お〜いし か〜のやま〜

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‥「夢は今も巡りて 忘れ難き故郷(ふるさと)」か‥。

残った時間で、鎮魂のモニュメント「風の舞」に行きます。

モニュメント「風の舞」

誰もいない一本道を直進。

飲食禁止だけど、水分補給はOKだから、ポカリ飲んじゃお。

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ふ〜、生き返る〜!

‥到着です。

立派な観音像と、左の建物は、火葬場。

全国の療養所のうち、今でも島の火葬場が使用されているのは、大島だけ。

そして「かつては火葬も患者作業で、薪を使用していた」。

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‥‥‥。

三角錐のは「天上・宇宙の万物」を、プリン型のは「天下・地上の万物」を、円形の石畳は「死者と生者が語り合う場所」を、表しています。

「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように」という願いを込めて、1992年に作られました。

2つのモニュメント内には、火葬・納骨後の遺骨が納められているそう。

「風の舞」‥次の瀬戸芸の時も、来させてくださいね。

海岸に出てみました。

昔は、この近くに養豚場もあり、飼料の回収も患者さん達が。

養豚場跡地のパネルに「患者作業の中でも、とりわけ過酷な重労働の1つであった」とありました。

海岸でボーッとしてたら、まるでリゾートアイランドみたいな風景が、静かに広がっています。

社会交流会館

カフェの併設もある、社会交流会館。

かつて入所者さんが住んでいた建物を活かし、渡り廊下で繋げた構造です。

「大島の歴史を語る道具・文書・記録・図書・証言・遺物・生活の痕跡等を収集・保存した、ユニバーサル・ミュージアム」。

1958年(昭和33年)前後の、大島青松園のジオラマも展示されています。

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在園者数が、第2のピークを迎えた頃のジオラマ、とにかく凄い。初めて見た時、大島が1つの街だったことを、実感しました。

園内放送が主体になるまで、朝晩の時報や、集合の合図として、昭和26年まで使われていた、という鐘。

ガイドさん

昔は、50cmくらいの汽車のレールの切れ端を吊り下げて、金づちで叩いていたそうです。

建物の中に入ってみると、病院勤務の私は、超デジャヴww

案内に沿って、展示エリアに進むと‥

強制隔離政策のもと、入所者さん達がどのように暮らし、支えあって生きてきたのかが伝わってくる、貴重な資料の数々が。

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ご紹介したいのですが、残念ながら、撮影禁止でした。

入所者さんが結成した劇団や楽団・クラブ活動の写真もあり、療友との楽しいひと時を過ごされていたことに、何だか安堵します。

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入所者さんの証言ビデオで「辛いことばかりではなく、楽しいこともありましたよ」「あなた達が会いにきてくれるのが、本当に嬉しい」と、笑顔で子供達に話されていた姿、印象的でした。

図書室に展示されていたのは、入所者さん達が読んでいた本。

もう茶色く変色して、ところどころ破れ、持ち上げるとホロホロ崩れそうです。

これらはどれも、極端に娯楽の少ない島で、読み継がれていたもの。

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「ねえ!あの小説、もう読んだ?」とか「この詩集、ロマンだよね」みたいな会話が、聞こえてきそうだったよ。

ハンセン病の基礎知識に関する展示室、個人的には、パネルギッシリの文字・データなどに、正直「‥限られた時間で、どこをどう読めば?」と、困惑します。

時間が許せば、隅々まで読み込みたいのですが、かなりのボリュームなのです。

急ぐ人へのオススメは、わかりやすい文とイラストで、重要ポイントをサクッと解説した、子供向けパンフ。

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あとは、実際に使われていた道具・患者さんの作品・昔の白黒写真みたいに、ぼんやり見てても、目に飛び込んできて、何かを訴えるタイプの展示物でしょうか。

全国に13カ所ある、国立ハンセン病療養所では、医師を募集しているようです。

あっ!

カフェの看板が、見えた。

うわっ!

瀬戸芸スタンプ、ここに、めっちゃかたまってるしww

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ほぼ全ての会場を回ったけど、こんな団体様のスタンプ、初めて見たよ。えい、連打、ポポポン、ポン!

瀬戸芸アーティストさんの絵画や、

熊本県にある療養所の、絵画クラブの作品展も。

作品集も、手に取れました。

ああ、さっき見た水族館を作った、アーティストさんの絵本だ。

こっちは「リングワンデルング」のアーティストさん。

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「焚書」に感動。1ページめくるごとに、壮大な世界が広がってました。

はい、これにて大島作品、コンプリート!

船の時間が近づいて来たので、桟橋に向かいましょう。

桟橋周辺

島には、郵便局もあります。

大島が1つの街だった全盛期なんて、色んな郵便物を扱って、忙しかったんだろうな。

松の木に立てられた看板は「墓標の松」。

島の浜や海岸に、屋島の戦いに敗れた平家軍のお墓である、松の木が並んでいます。

この松の下からも、人骨や刀剣が発見されたそう。

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平安末期の合戦でボロボロになって、しかも負けちゃって、ここで命を落とした武者達が、眠ってるんだね。

入所者さんが「昔は今より、もっとたくさんの松が、山にも港にもあった」と話されていたそう。

源平合戦、そしてハンセン病患者さんの強制隔離。

‥空に伸びる青い松の、何と悲しいことか。

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‥そろそろ、船の時間だ。大島、また来るね。

せいしょう‥「青松」の名を持つ船。

乗り込んだら、階段を下り、再び私語厳禁・飲食禁止の、船室シートに座ります。

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わあ、うっすら、日焼けしてる。

大島〜高松港・JR高松駅

さすがに疲れたので、ちょっとウトウト。

気付けば、高松港に入港していました。

大島は、アート鑑賞だけでは終わらない島。

過去の大島と人々の記憶に触れ、自分を客観視したり、思考を整理して、また訪れたくなる島。

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瀬戸芸会場になったのをきっかけに、多くの人が大島へ足を運ぶようになりました。

さあ、私はJR高松駅から、瀬戸大橋を渡って、本州に帰ります。

明日からまた、日常に戻ろう。

‥今回も濃い、1泊2日の旅でした。

※この記事は、国立療養所大島青松園・ハンセン病の資料などを参考に、作成しました。

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特に、大島やハンセン病のことを知らなかった皆さん、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

ハンセン病の悲しい歴史 
厚生労働省発行のわかりやすいパンフ「ハンセン病の向こう側」の1ページ。子供向けなので、大人にもわかりやすいパンフ。

国立療養所大島青松園公式サイト

国立ハンセン病資料館公式サイト

【瀬戸内国際芸術祭2022】全会場を制覇、ブログで会場別にご紹介しました この記事は、私が瀬戸芸会場を訪れるたびに書いた、計11本の記事へのリンク集です。 リンク先の記事で、多数の写真と共に、展示作品...